連続インタビュー 二人目:鎌田紗矢香

第二の語り部は、『コルネリア』で鏡と対話をする一人の女を演じる鎌田紗矢香です。

不器用な女性ですね

- コルネリアはどういう女性ですか?

不器用な女性ですね。器用だったら、こんなことにはなっていないはずなのにと思うことがよくあります。とはいえ不器用なりに最後まで懸命にあがいている女性です。ちょっと浮いた人に見えるかもしれませんが、取り立てて変な人だとか、狂った人だというわけではなく、たまたま色々なことがうまくいかなかっただけなんです。あと、もうちょっと鈍感に生きていればもっと幸せに生きていけたと思うんですけど、世界に対して敏感すぎたのかもしれません。器用な人は、情報を取捨選択して不必要な情報はうまく処理していけると思いますが、そういうものを巧く処理できないと、だんだん不必要なものが蓄積して、耐えられない瞬間が人には来ます。その蓄積のキャパシティは人によって違いますが、コルネリアの場合、キャパシティが25歳で限界に達したのだと思います。

- 敏感さと不器用さが、彼女を不幸にしたということですか?

幸/不幸っていう考え方はなんか違うかなと思います。コルネリアは、すごく必死に生きてきたのですが、どこかのタイミングでそれを理解する人や救ってくれる人が現れなかったんです。それで彼女は、11歳で人生は終了したも同然のように生きていくことになったのだと思います。

終わっていく寂しさを感じていく人生

- 劇中に「…25歳。いい歳ね、もう充分すぎるわ」というコルネリアの台詞がありますが、なぜ25歳が節目になっているのだと思いますか・

25歳になると、徐々に体も老いていく一方になり、人生の終わりのプロセスが始まるんだと思います。

- その点について、鎌田さんには実感できるところありますか?

青年期が終わり、壮年期が徐々に始まっていくというか、もう子供ではないっていうことを正式に実感し始めているように思います。そういう意味で25歳が区切りで、もう死のうかなと思うのは不思議ではないですね。25歳までって、一通り経験できるんですよ。18歳前後から大人として扱われるようになり、そこそこ大人とも交流し、そこそこ世界のあらましも見えてくるようになると、この先新しい価値観に出会うことはもうない、出会ったとしても、あくまでこれまで蓄積してきたことの枝分かれ程度なのだと思えるようになります。世界の反転みたいなことは、25歳過ぎると、もちろん起こり得る人もいますが、起こりえないと判断するには25歳はいい区切りなんだと思います。

- 鎌田さん自身の過去に対する考えや、少女時代の思い出と照らし合せたときにコルネリアに共感できるところはありますか?

コルネリアほどドラマチックな人生を送ってはいませんが、10歳前後が一番幸せな時代だったってという感覚はあります。すごく幸せな子供時代を過ごして、コルネリアの場合は明確にショッキングな出来事があって、その後の人生が変わりますが、私の場合は幸せな人生から、それがだんだんと終わっていく人生、終わっていく寂しさを感じていく人生に変わっていったように思います。子供時代に対する、また終わってしまったものに対する、郷愁とか憧憬といったものはすごくよく分かります。また例えば、子供の頃に、私やコルネリアが特別だとは思いませんが、なんとか自分の気持ちを守るために、全然つく必要のない嘘をついた経験などは共通していますね。

- コルネリアとの違いについてはどう思いますか?

コルネリアのいいなと思うところは鏡という対話相手をちゃんと見つけてその人と一緒にすっと過ごしてこられたというところです。それは、端から見たら異質でゆがんではいますが、そのゆがみのおかげで彼女は生きてこれたのです。実際、”鏡の中のコルネリア”がいるわけがなく自問自答なわけですが、でも彼女は鏡像を他者として認識して対話するのです。心を許して対話できる他者がいる点で彼女を羨ましく思います。

女の短い命のまたたき

- 最後にこの作品の見所は教えて下さい!

シルビーナ・オカンポが鮮やかに切り取った、コルネリアという女の短い命のまたたきだとか、自分をとりまくグロテスクな世界に対して懸命にあがくコルネリアの姿かなぁと思います。でも何をみてどう感じるかは、やはりお客様のものなので、わたしはただコルネリアの体験した世界を誠実に伝えるだけだと思っています。

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