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データで見る世界は良くなってるのか、悪くなっているのか?

今回は、心理学者スティーブン・ビンカーのプレゼンを要約して紹介します。

多くの人達が、ニュースを見て不安や恐怖を感じています。
毎日のように発砲事件だとか不平等、汚染、独裁政治、戦争それに核の拡散に関する記事を目にしてます。
多くの人は、数十年前の過去が良かったと、世界はもっと安全できれいで平等だったと思っています。

で実際所どうなのかを現在の状況と30年前データを同じ尺度で比較したデータで説明してます。

2018年4月のお話です

昨年のアメリカにおける殺人事件数10万人あたり5.3人

貧困層の割合7%

微小類子状物質(PM)の放出量2100万トン

二酸化硫黄放出量400万トン

一方30年前の殺人の犠牲者は10万人あたり8.5人

貧困層の割合は、12%

PMの放出量は3500万トン

二酸化硫黄の放出量2000万トンでした。

世界全体で見ると昨年12か所で戦争が起きており

独裁国家の数は60

極貧層は全人口の10%

核弾頭の数は1万発以上

30年前はというと23か所で戦争が起きていて

独裁国家の数が85

極貧層は全人口の37%

核弾頭の数は6万発以上でした。

幸せの要素が何かについて人々の意見は、概ね一致しているものです。
寿命、健康、暮らし、繁栄、平和、自由、安全、知識、余暇、幸福感

これらのものは、どれも数字で表せます。

時と共にその数値が上昇していれば、進歩していると言えます。

人類の歴史の殆どの期間において平均寿命は30歳程度でした。

今では、世界平均70歳以上で先進国では80歳を超えています。

250年前には、豊かな国でも子供の3人に1人は5歳の誕生日を迎えられませんでした。

死亡リスクが百分の1に低下する前の事です。

現在においては、最貧国でも乳幼児死亡率は、6%未満です。

200年前には、世界人口の90%が極度の貧困にあえいでいました。

現在では、10%未満です。

この10年で民主主義がかってない広がりを見せており、世界人口の3分の2が民主主義国家に暮らしています。無政府状態や復讐の掟が、法律に置き換わるとき殺人の頻度は急激に減少します。

実際の所あらゆる面で安全になっています。

20世紀を通して自動車事故で死亡する確率は96%減少

歩道にいながらも車にひかれる確率は88%減少

飛行機の墜落事故で命を落とす確率は99%減少

仕事中の事故で命を落とす確率は95%減少

天災によって命を落とす確率も89%減少

落雷によって命を落とす確率も97%減少してます。

17世紀以前の欧州における識字率は15%未満でしたが、欧米では20世紀中頃までには、識字率がほぼ100%になり、他国もこれに追いつきつつあります。現在では、世界全体で25歳未満の人の90%が読み書き出来ます。
19世紀には、西洋人は週に60時間以上働いていましたが、今では40時間未満です。

日本は、まだ19世紀と変わらないのね(>_<)

水道や電気が先進国の至る所で整備され洗濯機や掃除機、冷蔵庫、食器洗浄機、コンロや電子レンジが普及したおかげで家事に追われる時間は、週あたり60時間から15時間未満になりました。
健康、富、安全、知識、余暇といったものが改善されたことで我々はより幸せになったのでしょうか?
答えは、イエスです。

この数十年の間に86%の国で幸福度が高まりました。進歩したかどうかは、信条や楽観的であるかとは関係のない人類史上の事実なのです。

この事はニュースでどのように報道されてきたでしょうか?

報道記事に出てくるポジティブとネガティブの感情語を数えると人類がより健康に、豊かに賢く、安全に、幸せになったこの数十年の間にニューヨークタイムス紙は、よりネガティブな傾向を強め世界の報道でもますます陰鬱な言葉が使われるようになっています。

なぜ人々は進歩を認めようとしないのでしょうか?

その答えの一部は認知心理学にあります。我々は、「利用可能性ヒューリスティック」で手っ取り早くリスクを評価します。
思い出しやすいものに基づいて、判断する傾向が強いということです。
またニュースというものは、悪化するものに対する我々の関心に付け込むものでそれは「流血優先」という記事選別基準に現れています。
認知的なバイアスとニュースの本質を合わせて考えれば、世界がなぜ長年にわたり「世界が終焉を迎えつつ」あるのか理解できます。

ここで悲観的な見方には、利点があるのではという仮説

現状への満足に陥ることへの予防線となる。
重要人物の汚点を明かし、不都合な真実を権力者に訴えられるとそうとも限りません。

もちろん災害や危険が起きている時には、それを認識すべきです。

そういった問題の軽減策についても知るべきです。
しかし見境のない悲観主義は危険を伴います。

その一つが運命論です

世界を良くしょうという努力がすべて無駄だったならば、なぜ無駄な努力を続けるのでしょう?貧窮にあえぐ人はいなくならないし、世界はやがて終焉を迎えます。
気候変動が人類を滅亡させなくても暴走した人工知能がそうるすでしょう
それに対する自然な反応は「どうせ明日死ぬんだったら今のうちに飲み食いしし せいぜい楽しくすごそう」というものです。

無分別な悲観主義のもう一つの問題は過激主義です

この世の制度がとことん破綻し改善の見込みが立たなければ、きっと人々は機械を破壊し、悪者を一掃して体制を打ち倒そうとするでしょう。
新たに興ってくるものは、どんなものであれ、より良いに違いないと期待して・・・

進歩などというものがあるのだとしたら何がそれを引き起こしているのでしょうか?

進歩は、神秘的な力でも弁証法的に我々を向上させ続けるものでもなく、摩訶不思議な力で歴史が公正へ向かうわけでもありません。

進歩は、人類の思考によって導かれた努力の結果なのです。

つまり人間のあり方を改善する理性と科学の力を用いることで、我々は徐々に成功をおさめることが出来るという考えです。

進歩は必然なのでしょうか?

もちろん違います。

進歩が絶えずあらゆる場所であらゆる人にあらゆる改善をもたらすわけではありません。

最後に

論理的能力と生きようとする衝動を持つ知覚力のあるどんな生き物にも属するもがあります。
それに必要なのは
生は死よりも良く
健康は病気よりも良く
豊かさは欠乏よりも良く
自由は抑圧よりも良く
幸福は苦難よりも良く
知識は無知や迷信よりも良いという信念だけなのだから

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