呟きもしなかった事たちへ_No.38(2022年8月号)

※コンセプトは創刊号をご確認ください。ぼーっとする文章が続きます。バックナンバーはこちら索引もあります。

100均で売っている、「激落ちくん」の偽物、大抵白い四角に微妙な顔の「激落ちくん(キャラクター)」の偽物が書かれていて味わい深い。マジで誰だよ、っていうかなんだよお前。

今月も、呟きもしなかった事たちへ。

野沢菜

長野物産展みたいなのに行ったら、野沢菜の辛子炒め、辛子明太子野沢菜が売られていた。お前…お前…高菜さんに謝るべきだと思うがどうか?

文句を言うだけではいかん、とちゃんと買って食べてみたところ、高菜の辛子炒めや辛子明太子高菜と正直あまり区別がつかなかった。普通にプレーンの野沢菜と高菜を食べ比べるとちゃんと違いが分かるのだけれど、辛くするとよく分からない…そういう意味では、野沢菜はちゃんとお焼きとかで自分を主張してほしい。下手なことはせず、堂々として、そしてやはり高菜さんには謝るべきだと思うがどうか?

MtG

諸事情あり(というほど隠す事ではないが、多分まだ公式情報が出ていないので一応伏せておく)、マジック・ザ・ギャザリングを始める事になった。とはいえ、今更ガチでやるものではなく、パウパーでファンデッキを組む程度の話だ。

20数年振りにMtGに触れると、周りに案外プレイヤーが残っている事に驚くし、そしてその人達が適切に助言をくれてありがたい。MtG自体も自分が中学生の時に見ていたような時代からは随分進化して、ネットでカードの検索が出来るのが非常に便利だし、楽しい。単に強いカードの情報以外も簡単に検索できるので、ファンデッキが作りやすくなった。デッキの事を考えて、カードの検索をしたりしているとあっという間に時間が溶ける。

そんな訳でいよいよPCゲームをやる余裕がなくなってきつつある。7月は1秒もPCゲームをやっていない。赤青パウパー大浦るかこデッキは何となく形になり、緑白パウパーも大体形になったので、青緑パウパーみるちーずデッキを早い所仕上げて一旦落ち着きたい。

7月に家の中で2回蚊に刺された。1回目は足首の甲のあたり、2回目は右足の中指関節と、どちらも絶妙なポイントだ。平時なら大したことないが、歩くと靴下がすれて痒い。普段蚊に刺されても大した事なかったのだが、今回はこたえた。クリティカルヒットであり、クリティカル・蚊、クリカであった。

前段落、ナムコの名作ゲーム「ギャラクシアン」の続編である「ギャラガ」が「ギャラクシアン・蛾」を略したものである事を知らないと全く分からない事を書いたが、今皆さんも知った以上は良い所を刺した蚊の事をクリカと呼んでほしい。

ともあれこのかゆみが厄介だった。靴下をはくのは外出時、つまりは出社時だけなので、当然だが会社に行くのが嫌になる。ちなみに、もちろん野球でも靴下をはくのだが、この蚊に刺された後の土日が雨で野球が中止だった次第で、野球は空気を読める事が分かる。蚊と会社は空気を読めない。根絶やしにしなければ。

実力

雀魂を相変わらず気が向いたときにポチポチやっているのだけれど、どう考えても平日に寝る前にやる時と、土日の朝やる時とで対戦成績が異なり、これは要するに同じランク帯でも土日の朝はかなりまったりしている事を示しているだろう。正直、平日夜の「銀の間」の方が土日朝に「金の間」いる人より強い。

よって僕も土日朝だけでランクを上げ続け、実力以上の称号を得ようと思う。

特撮

「わたがしうのう」さんが活動を始めた。まぁ、見覚えのある声と動きとしゃべりではある(と言いつつ「見覚えのある」について言及しているのが2019年11月で驚いた)「中の人」みすみゆうかさんも楽しんでいるようだし、実際本人として配信している事と違う楽しさがあるようでありがたい。

みすみさん本人の配信と、「わたがしうのう」としての配信を見比べると当然違って、それはカメラの目線の問題とかもあるんだけど、何よりこうした配信上のキャラクターというのは一種の特撮である事が分かる。仮面ライダーや戦隊ヒーロー、ウルトラマンあたりのCGバトルを生身の人間にやると何か違う(ハガレンの映画、コケたね…)みたいのは特撮のガワとしての説得力の賜物だと思う(ちなみに人間へのCGもマーベルレベルになると見れる、という点は忘れてはいけない)が、Vというのはそういうモノなのだなと思う。そうした「実行するガワ」と、「中にいる人」は、一つにして同時に、そして別々に、受け手に伝わるのだ…という事が実感できる。この辺、エヴァンゲリオンとシン・ウルトラマンが最近馬鹿ほど繰り返してくれたので体感できているところもある。

普段見れるVtuberは、言うならば変身後のライダーしか見れてないんだよな。みすみさんに関しては、日常パートも見れるようになったという事なんだろう(但しそれも「日常パートの演者」である事は忘れてはいけない)。先月のピカソの話もそうなんだけど、何がIndicateされて、何がイメージを作り上げるのかというのはもうちょっと真面目に論じれるように考えていかないといけない。

爪楊枝

ふと気が付くと爪楊枝がケースに数本しか残っていない。歯間ブラシ的な使い方をせず、たまに料理で肉やジャガイモの火の通りをみたり、ツマミを出す時のピックにする程度なので、全然減らないし、そういうつもりでいるから在庫も確認せず買い置きもしないでいた。結果、ある時急に「おや随分少ないな」となる。まぁそういうものか。今度買おう。

さて、たまにしか買わないなら別に安いものである必要は無くて、多少良いヤツを買ってもいいかもしれない。少なくとも100均よりはマシなものを…と思ったが良い爪楊枝ってどこで売っているんだ?

ゲルハルト・リヒター

展覧会に行ってきた。すごい。

色には「意味」は無く、ピントには「意味」は無く、見せるものと見えるものの文脈を生み出す「揺らぎ」にしか「意味」はない…執拗にそういう事をし続けていた。曰く、「私が描こうとするものは現実に関するメッセージとしては重要ではなく意味をもっていない」。

アブストラクト・ドローイングを序盤に見た時に「この人、逆にコンクリートの壁をずっと見つめられるんだろうな」と思ったら灰色一色のアブストラクト・ドローイングがあった。やっぱりか。展示として灰色の絵が4900色の板と同じ部屋にあったのはすごく分りやすく作ってあったと思う。4900の板も、1枚1枚の板はそれ自体としてはどうでも良くて、周囲の板との組み合わせという「関係性」にしか我々は見る「意味」を見いだせない…という事が、灰色の中にゆらぎのある一枚の絵がある事で説得力を以て語られていた。アブストラクト・ドローイングは純然たるゆらぎと色彩が再築する関係性を生み出す事を目的としている。(挙句、「でもゆらぎ自体は別に究極的にはガラス板が映す世界でも良くない?」みたいな無茶苦茶な問いまでしてくるんだよな…)

そして、リヒター本人は、意味をそぎ落としていって最後に残った「ゆらぎ」を絵として描くその技法に対して異様なほど練習して、確実に自分の技術にしている…とにかくストイックだった。しかし、本人はストイックでも、見る人間にとって「モナリザは蕪ではない」。写真とは、撮影と現像とは(そういう意味では、アウシュビッツの写真はマジで批判的で凄味があった)。現代芸術家として最高峰と言われるのは、この明確な技術(およびそれによる無意味さの表現)が分かりやすいからだろう。明確に論述されるポストモダン。それでいて自分は生き残るラインの説得。ドイツ人が哲学やるとこうなるんだよな…という気もする。

体を動かす

上半期を振り返る。今更かと思われるかもしれないが、8月号という事は、7月に書いていて、要は上半期の振り返りをするならここなのだ。世の中の3月決算会社の決算が5月に出るのと同じだ。

さて、今年のテーマは身体性という事だった。

土日に野球が入ってからビックリするくらい「家でダラダラする土日」がなくなり、平日の筋トレは続き、街ではひいきの店を増やした。たまたまだが今年の前半は映画にもちょくちょく行った。それに加えて裏ラジの投稿と秘密基地のメニュー考案&仕込み、忙しくしていた。正直、やる事が多い。

実は野球を始めてから、Kさんというヤバい人がうちのチームの助っ人に居て、この人にかなり刺激を受けた。この人はある日、金曜夜から土曜朝まで大阪で飲んで(その前当然仕事をしていて)、土曜日朝に大阪から新幹線始発で帰ってきて野球に参加し、サクッとホームランを打っていった。この時、Kさんは翌日の日曜日には自分のチームで野球の予定を入れていると聞いていたので「明日も打てますね」と言ったところ、「それより今日の飲み会でどこまで飲めるのかが心配ですね」と返事が来た。もちろん月曜からまた仕事だ。化け物だな、と思ったが、確かにそういう、滅茶苦茶に遊んでいて滅茶苦茶に仕事ができる化け物はいる(Kさんは仕事もできる)。若い頃の無茶とは別に、30代後半から40代の無茶をしている人の秘訣は知りたいと思い、Kさんを意識して多少無理もしたところがある。

結果として、思ったほど体が疲れない事に驚いた。いや、なんだかんだ疲れはするし、そういう際は仕事を早く切り上げるしかないのだけれど、それを前提として、つまりは遊びを詰め込んでいる(恐ろしい事に野球は自分だけの予定ではないので動かせないし、飲み屋に行くにも時間が限られる)事を前提として時間制限を設けて仕事をしていると、頭を切り替えてサクサクやるしかない。そういう制限の中なのでストレスも比較的少ない。ストレスがない訳ではもちろんないが、なんとかなった。多分、体を休める事以上に、「仕事をちゃんと離れる」事が大事なのだろう。それはそういう気はする。ダラダラと休んでいても仕事をしっかり忘れる事は難しい。こういう、上書きでガンガンやっていく方が、成立する限りでは効果がありそうだ。なんとなくRTAみたいで、実際生き急いでいる感じはする。

と、生き急いでいる実感をもってやっていたのだけど、やっぱり7月に入ったタイミングで一度思いっきり調子を崩して二日ほど寝込んだ。まぁやっぱりね…自分の限界はある。そこが分かってきたのでよしとする。

↑クリエイターと言われるのこっぱずかしいですが、サポートを頂けるのは一つの夢でもあります。