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今までの自分の大喜利史を振り返ってみた

これは意味の無いカツ

そもそも大喜利自体初めて何年目なのかというと
生大喜利自体は今年に入ってからで、それ以外の大喜利はと言うと2年前、白PPONに出たのが始まりらしい。

たまたま「大喜利してぇ〜!配信大喜利とかねぇかな〜!」っておもって『大喜利 配信 募集』で調べたら、たまたま白PPONの応募フォームが見つかって恐れることなく応募した。
誰一人知らない空間に飛び込んでやってみた大喜利はめちゃくちゃ楽しかった。
ちょっと前に白滝BOXに俺が参加した時の話を聞いたら、

「一ミリも知らんやつが急に来てマジで詰んだと思った。」

って言われた。そりゃそう。

しかし、そこから別にネット大喜利にハマるでもなく時は過ぎ、身内の人らを呼んでなんでもあり大喜利地下答喜場を始めた。

「自分が面白いと思った人を呼ぶ」というコンセプトで始めたし、今もそれは変わってない。
でもなんだかんだこの企画がこれからの俺の大喜利を大きく変えることになったと思う。

きっかけは第四回、丁度一年前の年末回だった。
結論から言うと、呼べる身内のほとんどを呼んでしまったのである。大喜利がメインの界隈じゃない所にいたからまぁそりゃそうである。
困りすぎて大喜る人たちに出るような人にマジで面識がないのにお誘いのDM送ったりしてた。怖いもの知らずすぎるし、ちゃんと全部断られた上に何個か無視されてて嫌われてないか今も心配だったりする。
対策として白PPONを倣って出演者募集フォームを置いてみた。
そしたらばもう、意外すぎる人が応募してきた。
もし名古屋の大喜利史という科目があるならトピック付きで書かれているであろう人物こと、

静かの海さんが応募してきた

当時の自分のリアクションはというと失礼ながら、「あかんマジで知らん人だ…詰んだかもしれん…」だった。
白滝BOXもお前に同じこと思ってたんだよ。
いざ始めてみたらめちゃくちゃ面白い回答をバンバン出してて凄く凄かった。かなり圧倒された記憶がある。大喜利ってスゲー。
そしてこの回辺りで「ゲスト決まらん…どうしよ…」と悩んでいたら第一回の地下にも出てくれた灰色こたつに「もっと大喜利したら?」とウメハラがときどに言った「もっとストリートファイターしたら?」みたいなことを言われてハッとするなどした。
今の俺があるのは、白滝BOX、静かの海さん、灰色こたつの3人のお陰だと常々思う。
そこから大喜利茶屋を始めた。

最初に取れた上位回答

まぁ〜滑った。
めちゃくちゃ滑った。
今見返しててすごい恥ずかしいぐらいには滑った。

それでも意外と心は丈夫なもんで、滑っても特に気にせずやってた。逆無敵状態。そこから春頃までは茶屋を中心にやってた。
以降は個人的に好きな回答たち10選

老い
バグ技?
予算が余りすぎてる
急げ!
言いたくないもんね
ラッパーの先輩にこの回答褒められました
今度は山か
選挙の意味ないよ
これ良くないですか
必要なのは心

2023年、2月11日。初めて生大喜利をした日。
場所は名古屋、会はメリヱス。
引くほど滑った。終わった後埼玉県民さんに「回答短くない?」と言われたのを覚えている。多分今は長すぎるぐらいだと思う。

今思うととんでもないメンツ

生命の輝きさんが自己紹介だけで大ウケした後、お題が出た瞬間ペンのキャップを締めてゆっくり瞳を閉じた時、「こんなに面白い人達が沢山いるんだ!」と思った。それと同時に自分の世界の狭さを痛感した日でもありました。
最前で座ってたらドクローネさんがたまたま隣に居たので休憩時間にガンガン距離を詰めて地下答に出て頂くことに。後で色んな人に「それ断る択無くない?」と言われた。確かに。どんどん使おう。
生命の輝きさんも出てくれることを話したら、「また悪いことしただろ」と言われました。してません。スポーツバッグさんや今宵かるくさんも出て頂いた上に動画なので一本が短め。皆様是非。とは中々言えず…

理由を言いますと、当時の自分はかなり大迷走中で、ある視聴者回答を正直俺がなんて言ったか見て欲しくないぐらいに大スベらせしてしまったことをきっかけに主催としてのあり方や企画の存続についても迷っていました。
それで動画にしてみたりなど五里霧中ながら工夫を凝らしていた所で、白滝BOXの発案で彼と鳥乙と俺の3人で今後の地下答についての会議をしたりした。「もう地下答出ません」とか言われたらどうしようと思いながら通話に入った記憶がある。
実際はと言うと動画じゃなくて配信に戻した方がいいとか、こういうレイアウトでやったらどうかとか、無理して拾おうとしなくていいよとか、そういう話が中心だった。おかげで今の地下答があるので本当に助かった。

話を戻すと、春以降は生大喜利ではメリヱスや大喜利会らしき存在、主催2人がネタをやる大喜利会などに行き、後はスプシ大喜利を中心にやってた。
徐々に自分の大喜利のやり方を掴んでいく感じが成長を実感出来て良かった。
大会は、名月、ボケルバタッグトーナメント、県警に出た。スプシでは四季を巡る大喜利に2回出て、一回目ボロ負けして二回目に決勝に行った。多答最高や!
大会をざっと振り返ろうかな!

名月

初めての大会。予選で記憶が無いぐらい滑ったけど敗者復活でなんとか勝ち切り本戦に出れた。あぶね〜
尚本戦では脳髄筋肉大先生と田んぼマンさんに轢き殺されました。ちくしょ〜!
でも一回答だけ生命の輝きさんが真上向いて笑ってました。そんなに面白かったですかあれ。
打ち上げの時にあちゃのさんがビールをほんの少し飲んで開口一番「カッキーノ、俺、ギャグやりたい」って言ったの一生擦りますからね。実際やったらしいし。怖いよこの人。

警邏さん、ほんまおめでとうやで

ボケルバタッグトーナメント

はじめての初めてのタッグ戦、はじめての遠征。
元を辿れば双葉杯に静かの海さんに誘われたことがきっかけでした。この人が居なかったら俺は一体どうなってたんだ。
例のごとく無謀なオファーを東京の強豪に送っていた過去があるため怯えながら東京へ。
夜行バスに乗ったんですけど隣の車内でも帽子かぶってるじいさんが微かに音漏れさせながらマフィアシティみたいなゲームを遊んでたせいで寝れませんでした。夜行バスで夜更かしすんな。
東京を何も知らないので朝からボケルバ直行。
2年の付き合いのなのに何故か面識がなかった白滝BOXと朝っぱらに鬼ごっこをしてからボケルバに。あの時間なんだったの。
大会では一回だけビックリするほどウケたのでなんかもう満足。眠たすぎて自分の回答の記憶が無い。
昼夜含め色んな人とお話することが出来たので本当に良かった。ニセ関根さんと大納言さんと話してたらからまきさんに「フローラルさん…ですよね…?」と凄い人違いをされたりした。
Kouさん。しゅごしゅぎさん。岐阜で待ってます。
また、例のやり方で沢山の人を地下答に誘いました。

こうして生まれたのが第九回です。私は懲りません。

メモ取ってますからね。出てくださいね。

他にもOK頂いた方、絶対に誘うので覚悟していてください。

大会なのに緊張感無さすぎる
大喜利が楽しいのが悪い

夜の会はかなり気が狂ってしまっていて、かなりの芝が淡いさんにめちゃくちゃ熱い話をした記憶がある。本当にごめんなさい。次会う時あったら本当に気まずいな。
バスの時間もあって途中抜けして、寝不足酸欠のヘロヘロ状態で外に出たらメイド服を来た埼玉県民さんとブナぴさんが出入口に居た。
は?
理解が追いつかないまま電車まで案内されて無事帰宅。
まだ納得してません。

県警

自分でも早すぎると思うんですけど、もう緊張してなかった。
結果自体も過去一惜しくてあと2点あれば決勝トーナメントに行けたらしい。
大ウケした記憶も大滑りした記憶もないので、ずっと3位ぐらいで2点を稼ぎまくってたんだと思います。

細かいルールとか結果は警邏さんのnoteを読んでください。わからないさん、凄く面白かったしお土産が美味しかったです。ご馳走様でした。
山も谷もなく平坦なままボーダーに辿り着けなかったのであんまり書けることが無く、じんわりと悔しかったです。
ただこれだけは言わせて欲しい。

めっちゃいいルールでした。

主催をしてくれる方々に深く感謝
あと打ち上げで向かい側に座ってたマウント長谷川さんが一点差で決勝トーナメント行けなかった悔しさからか山盛りキャベツでご飯食ってた。あと一歩で俺もこうなってたかもしれない。もっと面白くならなきゃ。

硬派なデザインでとても好き

これからについて

まずは先に控えている学生AUNとヨシダits組手に向けて頑張りたい!!!!!!!
特に学生AUNは出たくても出られない人達のためにも絶対にウケて帰る!!!!!!!!!
大喜利配信は地下答はもちろんの事、もっと名古屋の大喜利にフィーチャーした企画をやりたいなと考えています。
あとは大会の主催をしたい!!!!!車座で大会やってみたい!!!!!!もし大会を開くことがあったらめちゃくちゃ告知するからみんな来てね!!!!!!!

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