商売を「商売だ」といっても損はないが、いわないでいると角が立つ。

先日から話題の記事をよんで、今後のマンガ投稿においてこの形式では使えなくなるだろうな、と漠然と考えてました。いや、使ってもいいんですけど、使い方が難しくなったし、場合によっては変えないといけないだろうなあと、漫画の一読者として、まがりなりにも漫画を描いてる同人者としても感じています。

それは決して疑問を呈した人がいたからではなく、一連の議論の中でこぼれた言葉たちから、元々孕んでいた危うさが明らかになりすぎたと思うからです。

最初に断っておきますが、私はこのまとめで発言されている方や、過去もしくは今現在この宣伝手法を使ったことのある方に対して、投稿したコンテンツや発言についてどうこうしろという意図は一切ありません。

なにより、「商業漫画を直接ツイート投稿すること」の拡散性能を強く実感しており、これからも有用に使って広告してほしいという意図をもってこの記事を書いています。

そして長く健全に使われてほしいからこそ、いまこの手法で問われている問題点について明らかにしたいのです。

何が問題視されているのか

話題のスタイルへの懸念で主なところは、現状では最後まで読み進めないと宣伝だとわからない、早い段階で宣伝だと示して欲しい、でないと今後はその形式全てか投稿者をシャットアウトするしかなくなる、あたりでしょうか。

今後も上手く使われて欲しいと思う自分でも、過去にこのスタイルを実施した人が「SNSでよく拡散されているアマチュア創作漫画ツイートに見せかけて商業宣伝をしたい」と、明言してることには引っかかりました。

「見せかけて」「宣伝する」 このワードの組み合わせに、複雑な気持ちを持つ現代人は多いのでは。

宣伝や販促活動であることを完全に伏せて宣伝や販促活動を行うステルスマーケティング。ネイティブ広告でありながらPR表記を見えにくく、なんなら消して展開するノンクレジットタイアップ問題。広告がないページだと思ったら徐々に現れるアニメーションバナーなど。

広告なのに広告ではないていを装い、望まない広告誘導に知らず乗せられてしまうことについて、その共通の動機である生産者による「どうしても注目を集めたい、買わせたい」から発した行動の行き過ぎについて、消費者は生産者に対して様々な形の広告倫理を問うてきたはずです。

まとめ内の人だけがこの手法を考案したとは思っていません。というか、SNS上でよくみる形式を模して展開されているのは明らかで、そこに高品質漫画を投稿して拡散を狙い、誘導を設ければ……? とは、全国のビジネスマンなら誰しも思いつくでしょう。

私の記憶の限りでは、年明けごろから特定出版社の作家アカウントを中心に、ほとんど同じフォーマットを使って一度に展開されたと思います。自分がフォローしている作家さんが数日間でいっせいに投稿したことに驚いた(そして他者に勧めやすい宣伝が出来たぞ!と喜んだ)のを覚えています。

つまりどこかの社内で調整がつき、実際にやってみようとなったのだろうし、そこからは最初の流れをみて他社や作家個人も追随したのだろうと推測されます。

そうやって展開されただろう手法が、すでにある文化圏のものであるかのように「見せかけて」始まり、営利目的の「宣伝する」形式に繋げて結ばれている。総括として「作り手は売りたいのだから仕方ない」と庇われてしまう。

この一連のくだりには、先の広告倫理の問題に似た危うさをはらんでいるように思うのです。

ところで何が利点だったっけ?

私個人はこの宣伝の肝は「ツイート上に直接本編を全文添付すること」だと思います。そして素晴らしく画期的な手法だと思っています。

なんといっても、これまで書籍やウェブページ・アプリに遷移しないと全編読めなかった商業漫画をSNS上で直接読める。これがどれだけ革新的なことか!

たまたま運用している、便利情報アカウントのツイートアクティビティからいえば、たまに数百〜数千RTレベルでバズっても、ツイート内に含まれる外部リンクを参照する人の数は1~3%程度に留まります。

ですが、画像や動画が添付されてバズった場合、メディアを参照する率は10%強まで跳ね上がります。情報系ツイートでこれなので、コンテンツ系ならさらに後者の比重は上がるでしょう。

つまり、最終的には同じコンテンツを参照できて、仮にツイート閲覧数が同じであれば、リンクより直接添付の方が読む人の数は何倍も多い。外部リンクする形式から直接添付する形式のツイートに変更した時点で、SNS上でリーチできる読者は以前よりずっと多くなるのです。

そして読者から感動を引き出せれば、時にシェア行動に転化します。それは宣伝有無の問題ではなく、ツイート自身の品質によって引き起こされます。

SNSで耳目を集める小手先の手法はいろいろありますが、本質的にはそのツイート自体がとても良いコンテンツであることが、第一に重要でしょう。面白く、楽しく、もしくは悲しく、怒りを湧き立たせ、知的好奇心が満たされるもの。高い品質のコンテンツとはそういった感情を大きく揺さぶるからこそ、思わずタップするんです。

その点に関して、現代日本の商業漫画というだけで、すーーーごい有利なんですよ!! 商業漫画ってすごいレベル高いすごい超高品質コンテンツなんですよ!! 出版社に見いだされた作家が描き、プロの編集者がサポートし、アシスタントがクオリティを補足した、超ーーーーーーーーー優良コンテンツなんです!!!

そんなんまるごと投下されたらそりゃ見るし、感動するし、RTもいいねもバンバン押しますよ!!! バズるわ!!!!! ありがとう!!!!!! というテンションで、このブームのさなか結構な頻度で漫画買ってます。

ツイート上で高品質の漫画を直接参照できる。それこそがこの手法の最大の強みです。

ですが、冒頭のまとめ記事があれほど出回り、一部の実行者が「見せかけて」「宣伝する」と明言し、懸念を呈した人への反証として「最後にPRと明かしているのだから問題ない」という言が出ている。

たとえそれらの発言者とは別人が別の意図から使っても、これらの作用を保留したままこの形式を使うには危うい段階に入ったと感じます。

懸念点を回避している事例

宣伝から「何かに見せかける」要素を完全に除くことはできないでしょう。そもそも、作品を世に公開すること自体、何かを世に知らせるという宣伝の作用をはらんでいます。

ですが、作家だからってSNS上のおはようおやすみ挨拶は宣伝行為じゃないだろうし、ガチャ報告しつつゲームで遊んだ話もしたいだろうし、仕事に関係ない作品を公開して「それも本業の宣伝なんですね」といわれたら戸惑うケースもあるでしょう。仕事に関係ない作品を公開してたらそれが仕事になっていた、では過去の行動は仕事だったのか? という曖昧な状況もごろごろ転がっています。

いまやSNS上でなんらか発言・投稿をすることと宣伝という作用は、完全に切り分けることはできません。発信者でさえ判断が曖昧な状況も多いのに、受信者からすればさらに真意も意図もわかりません。示されなければそれがどういう意図から発した言動か、見ている側にはわからないのです。

ゆえに、完全には切り分けられないからこそ、宣伝や営利活動を最初から強く意図する行動については、発信者の側から律することが重要になってくる。それが今日の広告倫理の根幹ではないかと思うのです。

思うんですけど、宣伝だって最初に言っちゃえばいいんじゃないすかね。

このプロモーション手段を肯定的に見ている人の多くは、「面白ければ宣伝でもなんでもいいし、良かったら買う」とおっしゃってますよ。

最初のツイートから「〇〇〇が△△△な話です。連載作品の単行本が出たので、記念に冒頭1話を全部投稿します!」と書いてあったとして、後半があってもなくても本編が良かったら買うわけですよ。

「見せかけて」「宣伝する」に不満を抱く人でも、わざわざ【PR】だ【Ad】だとつけなくてもこの一文のある投稿を「見せかけてる!」とはそうそう思わないでしょう。宣伝そのものが嫌な人は、見せかけていてもいなくても嫌います。

いまの時点で好意的に見てくれる人が、やり方を変えることで評価を変えるのが見えているなら悩ましい選択ですが、いま好意的に見てくれる人が離れないまま、反感を抱いている人を取り込めるなら、理はあるはずです。

でも「宣伝だといったら拡散されないのでは?」という懸念を抱く人もいるでしょう。

そうこう言ってるうちに漫画家の水上悟志さんが、今回の話題を受けて、初出や形態、宣伝の有無をあらかじめ告知した投稿を実施されていました。

記事作成時で約2800RTされています。最終的に求める宣伝規模がどの程度かは第三者には判断付きませんが、一般的には十分「バズッた」といわれる数値をたたき出しています。

そしてもう一つこちらも。同じ内容を切り口を変えたことで拡散力が変わったという主旨ですが、注目すべきはより拡散した方のツイートにも「新刊を発売する」旨を記載しています。ツイート中で宣伝してるからって拡散されないなんてこたあないんです。

これ以外にも、マンガ公式アカウント姉なるもののなどは、月刊20ページ前後の連載分をツイッター上にすべて投稿しています。

公式アカウントとはそもそもその全てが営利目的です。一般的には作家個人のアカウントよりもずっとその言動は営利活動であると認識されているため、「これは宣伝か否か」の問題とは大変相性が良いツールでしょう(その一方で、公式・企業アカウントは私的な態度をとりすぎることを問題視されたりしますね)

少し方向性を変えて、これまでは初出が別にある出版物のツイッター掲載でしたが、例えば星海社が運営するツイ4は、ツイッターこそが初出の連載メディアです。

毎日定時に1ページずつ投稿し、一見ページ完結ものなのかとおもいきや、中編~長編シリーズを展開することも。

あと、なんといってもこの分野のパイオニアといったニンジャスレイヤーですよ。Twitter投稿から始まった小説からはじまり、その後展開されたコミカライズも投稿しています。

またレーベルによっては紙面掲載時の煽り文そのままにすることで、比較的わかりやすく雑誌に掲載されたものであるとわかる投稿もありますね。どの程度であればわれわれ読者は受け入れられるのか、逆に過大に表示しすぎて本題を損ねないか、今後も慎重に探る必要があります。

商業漫画を丸ごとツイッター上で読めるようにする魅力はやはり誰もが実感するところですし、これまでにも何度も試みは行われてきました。いまのブームもその潮流の一つだなと思っています。

「見せかけるからこそ宣伝効果がある」を正当化していないか

少し話は戻りますが、「宣伝だといったら拡散されないのでは?」という懸念に対して「だから見せかけて宣伝するのだ」に帰結するのだとしたら、その意識こそがこの件の問題そのものではないかと思います。

さらに話を戻せば、「早い段階で宣伝だと示して欲しい」という提案があったとして、それをみて「この人はお金をだしたくない人なのだ。だから我々はそれに従わない」と展開することは、「お金を出して欲しいから、我々は早い段階で宣伝だと示したくない」という理路が隠れていないでしょうか。

生産者は消費者からの利益を求め、ゆえに矛先を向けられた消費者は慎重に情報を吟味したいし、正確な情報を得たいと思うのです。これはどんな業種においても発生する生産者と消費者の構造でしょう。

宣伝だとばれたら見ない人にも見せてやりたい、宣伝だからひた隠す、どんな手段でもいい、だって今は出版不況でどこも苦しいんだから。

生産者のその気持ちは痛いほどわかりますし、どんな業界でも大なり小なりぶつかっている問題で、世の広報担当がいつも向き合っている世界です。

でも同時にその気持ちが行き着いた先で、例えばスマートフォンを使ってる時に上からにゅ~っと下りてくる広告を作ってないか、とも思うのです。ああいう明らかに誤タップ誘発を狙ったあの仕様、うっとしいと思わなかった人いるんですかね(あの形式はGoogleが締め出し宣言したので今後は激減していくでしょう)

最初のまとめ記事をみて、作家さんの苦境を感じ取ってこれからも応援しようと思う人もいると思いますが、見えにくい広告バナーよろしく「あの投稿形式とは、投稿時点でなんらかの誘発を意図した手法だったのだ」と認識した人も一定数いるはずです。

そういう色の手法を、作家とはいえ個人のアカウントで「仕方ないから」「宣伝だから」と省みず使ってしまっている。でも、消費者でもある我々は「宣伝だからこそ宣伝だと見えていて欲しい」とも日頃願ってきたはずです。その立場と意識のギャップを放置して行使するのは、本当に危うい状況に思うのです。

繰り返しますが、これまでにあの形式で投稿してきた人を遡って修正を求めるような意図はありません。いまは過渡期で、あれこれと様々な実験が繰り返されています。

ただ「これからはどうあるべきか。どこに行き着きたいのか」を宣伝の発信者が強く意識し、律しなければ、行き着いた先で安易な過ち、つまりは「無理やりにでもここに誘導してしまえばいい」といった手法の誕生を許容し、消費者は正確な情報を見分けにくくなり、それらの不満は全て宣伝の発信者と宣伝したいものの生産者に対する不信へと繋がります。

この手法の場合、主に作家個人が発信者であり生産者です。ここで不信を買えば、読者が作者を疑うことへと繋がりかねない。広告倫理が問われる時はそういう状況であると、いまこそ強く意識するべきです。

それに加えて、私見ですけど、あの形式で投稿して多くがバズったというなら、それは宣伝であることを見えにくくした形式だったからではなく、その投稿した作品がそのものが、素晴らしい作品だからです!!!!

これ読んで単行本を即そろえたし、現在作家さんの他作品も購入検討してますよ! こういう機会を今後も気持ちよく迎えられるようにいたい!

この話題でごく個人的な観点で気にくわないのは、話題が先鋭化されるにつれて「この手法だからバズるんだ(だからこの手法にこだわるんだ)」と語られていくことです。

違います!! 投稿された!! 漫画が!! おしろいからバズってんの!! バズりやすくなる小手先テクなんて誰だってできるけど皆が成功するわけじゃない!! 枝葉なの!! そして面白いマンガを描ける人は限られてるの!! それを!! わざわざ本業メディアから飛び出してツイッター投稿してくれたから人気になってんの!! そこが一番でっけー幹なの!!!!

これまでに投稿して!! バズった人は!! そこに!! 自信と!! 誇りを持ってください!!!

ともかく、結果としてこの手法がこれほどまでに成果をみせたなら、今後も確実に工夫を凝らし、より先鋭化して展開されていくと思います。大歓迎です。

ですがその向き先が「この漫画を餌にして、なんとしてでも誘発を狙ってやる!」であってはいけないし、まとめ記事からみる風潮にはそこに陥りかねない危うさを感じます。

どうかそのことを念頭に置いて、作者も読者もこれから読者になる人にも、楽しく気持ちよく漫画を読めたらいいですよね。


余談

細かい話になりますけど、この方法で宣伝したとして「ここで得た読者が最終的にどうなってほしいか」は、あらかじめ考えておいた方がいいと思います。

商業漫画の作家さんが自作をSNS上に投稿できる状況というのは、マーケティングしてるような人からすれば喉から手が出るほどに羨ましい、しかし何度もは使えない超強力必殺技です。必殺技はどこで使うかが重要です。

例えばストレートに販促を意図して単行本を買ってほしいなら電子書籍セールや新刊発売など、他要因で注目されやすい時期と重ねると効果的でしょう。

連載していることを知ってほしいなら掲載媒体への誘導(リンクやアプリインストール、掲載誌の告知)でしょうし、絶版になり出版社の管理から外れたら、マンガ図書館Zに投稿しその宣伝として本編をツイッター投稿するというのも考えられますね。

フォロワー増加を狙う場合、一般的にSNS上で良い作品を見かけて作者のアカウントをフォローするまで至るのは、「今後もこういった作品を(SNS上で)提供してくれるに違いない」という期待が主であると考えられます。ですが、自身の商業漫画を全て投稿する作家さんはそうそうないと思われるため、一定期間後のフォロワー減を見越して、それを留める何らかの施策がその後に必要でしょう。

新連載1話を投稿して様子みるのは逆にやめた方がいいのでは。ジャンプ漫画だって「1話微妙」といわれつつ半年後くらいに化ける漫画だってあるじゃないですか。

……みたいなね。そのどれが受け入れられる誘導で、受け入れられない誘導なのか。たぶんそのことについては、これからどんどん問われていくと思いますし、ここで結論はつけられません。文字数ぱんぱんだし。

ともあれ、いずれのケースも、最終的な着地に応じて投稿する形式、タイミング、告知の内容など少しずつやり方見せ方は変わってくるはずです。

そしていずれも、作らないですむ反感は作らない方が絶対にいいです。一度バズッた程度では、数値の変化は数日でおさまりますが、そこでの振る舞いで得た評価はもっと長く続きます。

またツイッターに投稿するからには、同社のコンテンツポリシーや規約下におかれることも意味します。API経由での引用や、年齢制限が必要なコンテンツの扱い、広告に関する禁止事項も含まれています。どうぞよくご確認ください。

◆余談2◆

このブームの中で、これまで「ツイッター上で人気が出すには、軽くて短い方がよい。添付できる4ページにまとまる方が良い」という通説があったように思いますが、ざっくり平均でも30ページ前後、ツイートにして10ある長文投稿も人気です。

もちろんプロの読ませる技術あってのことですが、思ったより長くても読む側もいけるんだなと認識を改めました。

(読みにくさを指摘する人もいますが、それはあくまで読み物として捉えた場合の問題点であって、広告ポスターと思えばその性能は侮れないと思っています)