第五回: メリットが大きいだけでは実行できない

たちが悪いのは、休日の自由な時間というのは、たいてい何の労もなく手に入ることです。むしろ朝起きた瞬間に天から降ってきたような感覚すらあります。
もし忙しい一日の中で、なんとかやりくして20分の時間を確保したならば、その時間ではきっと事前にやろうと思っていたことに取りかかるのではないでしょうか。

この件については、あまり考えていませんでした。このへんが、共同執筆のたまものと言えますね。(以下引用はすべて同じ記事からです)。

苦もなく手に入れたものはあっけなく失い、苦労して手に入れたものほど大事に使えるというのはそうだろうと思います。ただ現実的には、「忙しい一日の中で、なんとかやりくして20分の時間を確保した」としても、そんなにうまく使えるものでもありませんが。

とは言え、第4回記事の論点は、次だろうと思います。

しかし、ここで気になるのは、なぜ真っ先に野菜売り場にいかなかったのか、という点です。

まさにこれが問題なのです。お金ができたなら、なぜ真っ先に一番必要なものを買わないのか。時間があるなら、なぜ真っ先にずっとやりたかったことをしないのか。ファーストタスクを、なぜみすみすムダにするのか。

理由は、次の点にあります。

私が買い物に行って、買い物リストに「トイレットペーパー」と書かれていたら、ほとんど間違いなく最後にそれを取りに行くでしょう。

たいていの人は、そうするだろうと思います。なぜならかさばるからです。最初にかさばるものを持ち運びたくない。というより、ギリギリ最後になっても、かさばるものなんて持ち運びたくはないのです。

つまり、運ぶ以上はかさばってはならないのです。

タスクを小分けにしましょうとはよく言われるアドバイスであり、ちゃんと実行することができるものとしては、かなりよいアドバイスに属すると思います。小分けにするメリットは、取りかかりやすくなることです。

時間があるとついSNSに走ってしまうのは、スマホでツイッターを見るという行為の容易さに鍵があります。すでに極限まで小分けにされているため、かけるコストに対して得るリターンがつねに上回っているからです。

中国語を毎日30分、10年かけてやるほどのメリットを、ツイッターから得ることはまずできませんが、しかし中国語を30分かけて勉強するの比べ、iPhoneの画面をつるつる動かすことは、圧倒的に手軽です。

私たちはいつも、メリットだけを考えて行動しているわけではありません。
私たちは、メリットとコストを天秤にかけて行動しています。メリットの大きな行動を取りたいとは当然思っているものの、コストの少ない行動を取りたいとも常に考えているのです。

この計算はかなりすばやく行われるため、本能的とまでは言えないかもしれませんが、本能の判断との違いをハッキリさせられないほどです。トイレットペーパーを最後にするというのは、本能とは言えませんが、本能的と言っていいくらい、すばやく確実に判断されます。

人間のコスト計算は巧みですばやく、コストがかかりそうな行動は、ほとんど本能的と言っていいほどに、いつでも最後に回されがちなのです。

だから多少時間をかけて熟慮してから行動しないと、「すでに小分けにされた行動」を繰り返しているうちに、休日が終わってしまうわけです。

ここでの教訓は

・大事なことは一番最初に
・大事なことは小さく分けて

実行するべきであるということです。