MP連載第二十三回:MPがうまく使えないのはどうしてか?

なにせ私たちはMPがうまく使えないのです
MP連載第二十二回:認知的エコなリストの作り方

今回は試論です。

十分な自信を持って書いているわけではないことを、あらかじめお断りしておきます。

ずっと不思議に思っていることの1つが、MPというものが本当に有限かどうかも明らかでないうえに、「マンモス狩猟時代」とはこんなに環境の変化が著しいのに、どうして私たちはいぜんとしてなお「MPがうまく使えないの」でしょうか?

「うまく使えない」という前提で話を進めれば、なるほどとても分かりやすい話になります。しかし、もっとうまく使えるようにできないものか、と考えると、途端に行き止まりに行き当たるほど、「うまく使えない現実」があります。

個人的にはだから、前回のことを書いたのです。うまく使えないかもしれないが、うまく使っているときもあるのです。

たとえばうんとうまくいっている恋人と非常に素晴らしい時間を過ごしているときのことをイメージしましょう。

MPの話について言うと、こういう時間についてしばしば誤解があると私には思えます。

濃密なデートの時間であっても、消費は著しいのです。消耗が起こるのは決して、パワハラ被害に遭っている時間帯にだけ起きているのではない。

パワハラ被害に遭っているときには、耐えがたい現実が一層耐えがたくならないようにMPを激しく使います。

デートの時間帯には、たえやすい現実を一層素晴らしいものに彩るために、MPを激しく使うのです。

私たちはつい「充実した時間」にはMPが全く使われないか、あまつさえ「MPが充電されている」と表現する人すらあります。こういうのは実験すればすぐ明らかにできますが、デート前よりデート後のほうが、2桁同士のかけ算にかかる時間は長くなるはずです。

MPがうまく使えないのは、そういうことで多少でもストレスを感じるのは、

・向き合いたくない現実に直面しているとき
・実行のために記憶を要するとき

のいずれかであると考えています。

上の方はパワハラ被害時のことを思えばすぐ分かります。

下の方は、何かを思い出してやるとなると、かなり小さめの行為でもMPを使わずにはやりたくなくなることが分かります。後でやることが難しいのは、今やっていることを中断して再開するとき、私たちはMPの流れとも言うべきものを、いったん中断してから、再度同じ流れを作るのが難しいからなのです。

タスク管理には、向かいたくない仕事に向かい、しかも以前に「後でやろう」と思ったことをやることになるためのリストであるからこそ、MP消耗感が強いのでしょう。

・向き合いたくない現実=仕事に直面している
・実行のために、「後でやろうと思った項目だ」という記憶想起を要する

というわけで、先の二箇条の両方が常にそろったリスト、それがタスクリストなのです。