外国語を話すと性格が変わる?

海外での生活にはいろんな不安要素がありますが、言葉の心配は特に大きいのではないでしょうか。

英語圏なら、自分の語学レベルによる差はあっても「まだ何とかなる」と思えるかもしれませんが、英語圏外だと状況はかなり違ってきます。

一般的に「英語が通じる」とか「英語で大丈夫」と言われている非英語圏でも、英語だけで生活し通そうとするのは難しいし、その国を知ろう、馴染もうと本気で思うのであれば、その国の言葉を「知らない、できない」で通すのはお薦めできません。

仮に不十分な語学力でも、学ぼうという意欲を出すだけで、自分の気持ちもだいぶ違いますし、周りの反応も違ってきます。
これは、数週間程度の短期滞在でも、数年に及ぶ長期滞在でも、基本的には変わらないと思っています。

その国の言葉を覚えようとすることは、
どれだけ自分がその国(文化)に前向きに取り組むか

ということだと、私は思ってます。

***

ここから先は、非英語圏を前提にして書いていきます。

英語以外の母国語の国でも、片言の英語で意思の疎通はなんとかなるかもしれません。でも、どうしても見えない壁ができてしまう気がするんです。

そこの言葉を「覚えなくてもいい」と思うことは、言い換えると「私はお客さんのままでいい」という意識に繋がる気がします。
お客さんですから、相手は適度に遠慮して、丁寧に対応してくれるかもしれませんが、それは「受け入れてもらう」とは別ですし、その国の人や文化を知るチャンスは確実に減ります。

ところで、言語が思考に与える影響に関しては、Benjamin Lee Whorfなんかの研究が有名ですが、それはそれとして、とても分かり易くまとめてくれているのが「としちる」さんが書かれたこちらの記事です。

海外在住年数で言えば、既に2桁年数の私自身の感想は、
後から学んだ言語によって基本的な思考パターンが変わることはない
です。

としちるさんが書かれているように、

異なる言語を学ぶということは、その言語を用いている「文化」を学ぶということです。

これは同感です。

その文化の中で、その言語で学んだことが、自分の思考パターンに移植されることはある、と私は感じています。
だからといって、それまでの思考パターンがなくなるわけではなくて、共存状態になります。
「上書きして保存」とはなりません。

長く海外にいても、日本語で学んだもの(慣習とか常識みたいなもの)がまず基礎としてあって、外国語で話していても、まずそのベースになる母国語文化圏での思考パターンの延長で捉えてしまうことが多いでしょう。

私は、そうした「常識」のようなものは、特定の文化内での(国に限らず、コミュニティでも)暗黙知だと思っています。

海外で「え?!」となるのは、この暗黙知の外にある思考パターン(と、それを背景とする行動パターン)に遭遇して驚いたり、違和感や反感を覚えたりするところにある、と思います。
逆に、自分の暗黙知外のものを、新しくその言語で覚えれば、それが自分にとっても常識となり、行動もそれに従うわけです。

ただ「行動」となると、そこは自分の性格も関係してくると思います。

例えば、ある国では自分の権利を主張するのが当然と思われていて、自分もそれに同感だし、そうすべきだと思う思考パターンができている(常識として認知されている)とします。
でも、そこで自分が実際に権利の主張をするか、というと、それはまた別の話ですし。(内気な性格だとこれがなかなか・・・)


外国語で性格が変わるのか?

私の答えは「NO」です。

人は一次元的な存在ではなくて、幾重にも層のある複雑な個体です。

ある言語での自分と、別の言語での自分とで、まるで違う人間のような言動になったり、自分でもそう感じることはあるかもしれません。

でも、実際には全てがもともと自分の中にあって、特定の言語、つまりその文化が、それまで眠っていた非アクティブな自分を前面に押し出す、ということは十分に考えられます。

そうすると、内気だった人が活発になったりして「別人」に見えることもあるわけです。

ただ、人は「自分じゃないものにはなれない」と私は思っているので、そういうのは、違う言語で性格が変わったのではなく、単に隠れていた自分が出てくただけのことで、自分はやっぱり「自分」なのです。


外国語を学ぶメリットって?

いずれにせよ、何語であっても、外国語の習得はプラスだと私は思います。
理由としては、

・情報源が増える
・行動範囲が(もしかしたら)広がる
・内省の機会が増え、視野が広がる

この3つがまず浮かびます。

情報源は、ネットでも本でも、情報源の選択肢が増えるのは楽しいし嬉しいものです。

行動範囲は、旅行でも就職の機会でも学業でも、自分の目的に合うものを探せる範囲が広がり、アクションもし易くなると思います。

内省に関しては、自分の常識と違う常識に遭遇したときに「違和感」を感じることで、「これでいいのかな?」、「どうしてそうなるのかな?」といった具合に自分で考える機会が増えます。
(これを繰り返しているうちに、なんとなく「世界は広いなぁ」みたいに思えてくるんですよね)

言語による思考の変化、というのは研究課題としてとても魅力があります。
でも、「変わる」こと自体には正誤も優劣もないし、変わることは目的でもない、と思います。
「変われば変わる」くらいの、ゆるい捉え方で良いのではないでしょうか。

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誤解のないようにちょっと補足です:
私は何か不満があって、日本が嫌で出てきたわけじゃないんです。
背景は「本は魔法(の絨毯)」にちょっと書いてあります。
私は日本も日本人も大好きです。

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NoKo

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