見出し画像

I Will Be There With You

このタイトルを見てJALを連想した方は何人いるでしょうか?

私が日本へ帰る時は何かと都合が良いのでJALを使っています。
機内に入ると流れているこの曲、David Fosterの「I Will Be There With You((Instrumental Version)」は私の心を弾ませると同時に、いつも切ない、泣きたくなるような気持ちにさせます。

最近、歌詞付きのを発見しました:

泣けました・・・
よかったら下の歌詞を見ながら聴いてみてください。

"I Will Be There With You"(with David Foster)

If you could choose to go anywhere
Just close your eyes and imagine

The world belongs to just you and I if
I could be there with you

If any road was one we could take
And any place could be ours
We make the choice, we leave here today and
I could be there with you

If I am where you are, nowhere's too far
So take me with you
All I need is you

We go and when we come back again
Everything seems like it's new then
On rainy nights, tell me the story
When I was there with you

If I am where you are, nowhere's too far
So take me with you
All I need is you, yeah

Someday, someway I will be there with you

If you could choose to go anywhere
Just close your eyes and imagine
The world belongs to just you and I if
I could be there with you
I could be there with you
I will be there with you

引用リンクはこちら

歌詞だけを見ると、誰か大事なパートナーがいないといけないような感じなので、シングルの人にはちょっと寂しく思えるかもしれません。

でも、思うんですが・・・

The world belongs to just you and I if
I could be there with you

という部分をこう見たらどうでしょうか?

The world belongs to just me if
I could be there with me

私がこうしてヨーロッパに長年住んで、個人的に思うのは、

どこにいても、なにをしても、
自分が「自分」でいる限り、そこが「自分の世界」

ということです。

逆に言えば、自分が「だれ」わからないままでいれば、どこに行っても、なにをしても、常に疑問を持ち続けるでしょうし不満も残ります。

誰かがそばにいてくれたとしても、自分の足でしっかりと立っていなければ、相手との関係は不健康な依存関係に陥ってしまう危険も。

まずは自分

これは決して「自己中心」で「ワガママ」であることではなくて、自分という「軸」を見つけること。
人体に例えるなら、骨格。

どんな筋肉や脂肪がつくかは、遺伝や生活習慣しだい。
ファッション(服、ヘア、メイク、アクセサリ)は趣味しだい。
この2つの要素は、人生の場面場面で変わる可能性があります。
でも骨格は?

日本人であること、家庭や学校での体験。
そういうものは確かに自分を作っていますが、そこにだけ頼っていては骨じゃなくて筋肉に頼って立っているようなもの。
(その辺の正しい知識は理学療法士さんとか整形外科医のお医者様じゃないので詳しくはないですが)

「日本人」というフィルターで見られるのが嫌だったから、
私という「人間」を見てもらいたかったから、
どんどん余分な贅肉(自分情報)をそぎ落として、骨の部分に「何が残る」というところまで掘り下げていった結果が「私」です。

そうやって見つけた「自分」は、世界のどこに行っても、誰と会っても変わりません。

海外に出たり、国内でも引越しするとか、転職するとか、いろんな環境変化を希望する人がいると思います。
そこにはいろんな事情や背景があって「止むを得ず」ということも多いでしょう。

でも、もし「自分探し」でそういう「移動」を繰り返しているのなら、それは違うと思います。
自分は最初から「そこにいる」んです。

歌詞を変えてみます:

If you could choose to go anywhere
Just close your eyes and imagine

The world belongs to just you if
You could be there with you(self)

If any road was one you could take
And any place could be yours
You make the choice, you leave here today and
You could be there with you(self)

If you are where you are, nowhere's too far
So take you with (you)
All you need is "you"

夢も希望も、目標も野心も、場所は関係ないです。
すべて「自分の世界」。

Hello, World! 

新年が皆様にとって素晴らしい1年になりますよう、心からお祈り申し上げます。

20年以上の海外生活に終止符を打ち、2020年後半には日本へ帰国します。サポートは皆さんとお会いするときのお茶代として還元させていただきます。