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「なりたい自分」って、どんな自分?


なりたい自分になる」というのは、わかるようで実はよくわからない表現のような気がします。

初めてこの表現を見たときは「うんうん、そうだよねっ!」と思いました。
でも、様々な記事やSNSなどの投稿を見ていると、ときどき違和感を感じることがあるんです。

「定義」の問題?

ネットを中心に、比較的簡単に日本語で情報を集めることが可能とはいえ、私自身の背景として(非英語圏の海外在住)、日本語以外の情報のほうが入って来やすいのは確かです。

こうしてnoteを書くようになって、それからアカウントだけ作ってほぼ放置状態だったTwitterも頻繁に(?)使うようになって、興味のあるテーマについては、単に知識としだけではなくて、「日本ではどういう捉え方なの?」とか、「日本語ではどう表現してるの?」といった確認をすることが、以前より多くなりました。

「なりたい自分」という表現や、意識自体に反論するつもりはありませんし、理想に向かう前向きな姿勢は素敵だと思います。
ただ、このテーマについて、一見すると同じ話をしているようで、実は人によって微妙に違うことを言っている・・・そんな印象を受けることも多く、それがなんだか落ち着かないのです。

そこで、そもそも「なりたい自分」の「なりたい」ってどういうことなんだろうか?・・・というのを考えてみました。

全ての「なりたい」が、同じ「なりたい」ではない?

「なりたい」には、大きく分けて3つのレベルがある、と私は思っています。

<Level 1> „What“

何か」を「欲しがる」こと。
物欲、名声欲といった方向です。

お金が欲しい、◯◯(職業など)になりたい、合格したい、昇進したい、・・・

目標も結果も、具体的な数字や肩書きに現れるので分かり易いです。
これがはっきりしてる人は、とても明確な目的意識があって、逆に清々しかったりするので、必ずしも「物欲にまみれた俗人」というわけでもなかったりしますし、欲しいものに向かって真剣に努力する人も多いので、とても前向きな印象を受けることも多いです。

<Level 2> „How“

比較的漠然とした「○○たいなぁ」という欲求。
これは「○○」のところに、抽象的な概念が入るのがポイントだと思います。

綺麗に(可愛く)なりたい、有名になりたい、幸せになりたい、成功したい、愛されたい(愛したい)・・・

この「○○」の中身は人それぞれで、具体的に「何が、どう」なのかは、外部からはよくわからないことが多いですし、感覚的・主観的なことなので、本人も周りも、何を基準にどう判断していいのかわからないです。

このレベルでの「なりたい」は、仮に「達成した」とそのときは感じても、その達成感は大概が一過性のもので、「もっと」欲しくなる場合も多いように感じます。
終着点が見えない(最初からない可能性もある)ので、どこへ行き着けばその願望が満たされるのか、本人にも周りにも分かり難いのです。

そこまで抽象的ではなさそうですが、「結婚したい」もここに入れたいと思います。
「結婚」という形としての結果は明確なのですが、実際には結婚に対するイメージを追いかけている場合が多そうなので、私の感覚では抽象的なんです。

あと、この「なりたい」は、周囲との比較で認識していることが多いように感じます。

「憧れ」や「妬み・僻み」といった「他所の芝生は青い」状態と、世間一般で言うところの「べき」に影響を受けているケースです。
そうやって周りに振り回されていては、いつまでたっても自分が満足できる「なりたい」には行き着けない気がします。

<Level 3> „Why“

自分の内から湧き出る動機に基づいた「自己実現」・・・言い換えると「なるべくしてなる自分」です。
これが本当の意味での「なりたい自分」だと私は思っています。

誰かの真似をしたり(コピーは所詮コピーに過ぎない)、周りから勧められたことを無批判に受け入れたり(自主性のなさ、承認欲求を満たすため、など)しないで、自分に正直に生きるには、自分軸がとても大事だと思うのです。それは「規律」と言ってもいいかもしれないし、「生きる上での美学」と言えるのかもしれません。

場合によっては、周りから誤解されたり批判されたり、もしかしたら孤立したり・・・と、必ずしも楽な道ではないと思います。
でも、「どうして自分はそうしたいのか?」という動機付けがはっきりしていれば「ブレない」と思うのです。

ちょっと言及しておきたいのですが、これは「自分探し」とは違います
「自分探し」は、私には「探しに行く」という部分に、とても強い違和感があります。
「自分」は自分の中にあるのに、どうして「外」に出かけないと見つからない(と思う)の?・・・と思ってしまうんです。

私は、こうして人生の半分以上海外に住んでいますが、過去に「日本が窮屈だったから外国に来た」みたいなことを言う人に、何度か出会ったことがあります。
じゃあ、そういう人たちが外国に来て「自由の空気」を吸えたのか、日本にいた時より幸せになったのかというと、必ずしもそんなことはありませんでした。特に、滞在期間が長くなれば長いほど・・・。
日本で不満がある人は、外国に出ても不満がありますよ。たぶん、日本以上にキツイと思いますよ」というのが、私の率直な意見です。

いずれにせよ、自己実現と聞いて「自分探し」に出かけるのは、あまりお薦めできないように思えます。

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以上が私の考える「なりたい自分」の3つのレベルですが、あんまり固いことは言いたくないので、とってもゆるい絵を描いてみました。

この絵を見て「クスッ」と笑っていただけたら、嬉しいです。



20年以上の海外生活に終止符を打ち、2020年後半には日本へ帰国します。サポートは皆さんとお会いするときのお茶代として還元させていただきます。