見出し画像

失敗が怖いのは、とても普通で健全

今の時代の素晴らしさは、選択の自由の多様性、でしょうか。
何もかもが100%自由になるとは言いませんが、基本的に自分のしたいことを、自分のしたいようにすることが可能です。

学校、友達、パートナー、仕事、住む場所・・・
そういった(比較的)大きな選択から、日々の食事や休日の過ごし方、買い物といった日常生活の細々とした部分まで、ほぼ何でも自分で自由に決めることができます。

そんな一見すると無限にも思える可能性の中、「やりたいこと」って誰しもあると思います。
それを、人は「夢」と言ったり「理想」と言います。
でも、「大丈夫かな?」や「本当にこれでいいのかな?」といった疑問が、常についてきます。
色々と心配になるし、不安です。

でも、ただ怖がっているだけでは一歩も前に進みませんし、試してもみないうちから諦めるのは、本当にもったいないです。
「不安」そのものは悪いことじゃありません。
健全な人間なら不安があって当然で、ない方がむしろ怖いです。

不安はGPS

もしこれがなかったら、ものすごくハイリスクなことをして、取り返しのつかない結果を招くかもしれません。
「よし!これだ!」と確信して、夢に向かって突き進む人は、エネルギーに満ち溢れていて羨ましく思えます。
でも、自分がそうじゃないからといって過小評価する必要もない、と思っています。

不安だからこそ、

事前に情報を集める。
慎重に行動する。
他人に協力を求める。

そういった「健全な」対応もできるのだと思っています。

不安があって結構じゃないですか。

不安は、

GPS
常にバックに入ってる折りたたみの傘
予備のハンカチ

・・・そんな感じでしょうか。
「備えあれば憂いなし」です。
「不安」があるのは当然で、なかったらむしろ心配してください。
夢の高揚感の方が、不安感より危険かもしれません。

コインの両側

物事には常に両面があります。
「勇気」だって、裏返せば「軽はずみ」というネガティブな要素になってしまいます。
だから「怖がり・心配性」というのは、私にとっては欠点でも何でもありません。自分を「怖がり」だとか「小心者」だとか、卑下する必要は全くない、と思っています。

人が不安を感じるのは大抵「未知のもの」に対してです。
初めてというのは、何でも怖いものです。
慣れてくると「あれ?なんで、あんなに怖がってたんだろう?」と自分でも笑ってしまうような場合も多いですよね。

「情報を集める」という作業は、その作業をしながら不安要素をなくしていくことです。
何事に対しても、どんな「良い面」と「悪い面」があるのか、それを比較検証していくのは必要だし、当然の進め方かと思います。

「ロールモデル」を見つけよう

知識としての情報だけじゃなく「ロールモデル」を見つけるのも、自分の夢や憧れを確認するのにいいです。
そこに「成功事例」がある(いる)、ということで自分の中から「不可能」という文字がなくなるからです。

その人の真似をする必要はありません。
(コピーにはならないように!いつもベストバージョンの自分でいてくださいね!)
でも、その人がそこに行き着いた過程から学ぶことは大事です。
「その人みたいになる」と「その人のやり方を自分もやってみる」は全く別のものです。
できる人・成功した人のやり方は、本当に勉強になりますから、やり方はどんどん真似すべきだと思います。

決断は自己責任で

必要な情報が集まったら、あとは自分なりにそれを消化して判断を下すだけです。その時に、まだ「清水の舞台」的な感覚があるのなら、もう一度自分に聞いてみて欲しいです。

どうして、それをしたいの?
どうして、それがそんなに大事なの?

知識や情報、それに援助も外から得ることができます。
でも「行動する力」は自分の中にしかありません
だから、自分の「理由」が明確になっていないと、つまり自分の「核心」と繋がっていないと、行動力は生まれません。
(仮に生まれても、とても弱くて息切れしてしまいます・・・)

「する・しない」の決断は自分の責任で行うものです。
いろんな人から(善意で)いろんなアドバイスを貰うこともあります。
そんなときも、自分の「理由」を見失わないで欲しいです。

冷たい言い方かもしれませんが、他人に言われた通りに行動して失敗しても、その責任はアドバイスをくれた人にあるのではなく、そう行動した自分にあるんです。全て自己責任なんです。

更に言えば、そうやってアドバイスをくれた人たちは「結果」には責任を持ってくれません。
上手くいけば「良かったね!」と一緒に喜んでくれるかもしれないし、「私のおかげで良かったでしょ?」と恩に着せられるかもしれないし、「何いい気になってんの?!」と妬みや僻みの的になってしまうかもしれません。

失敗したときはどうでしょう?
「残念だったね」というのはまだ善意のある方で、「ほら!だから言ったじゃない」と得意気な顔をされたり、最悪だと「ざまあみろ」となります。

割れて粉々になった夢の破片を一緒に集めてくれて「また頑張ろう。じゃあ、次を一緒に考えてみようか」なんてサポートしてくれる人は、いたらほぼ奇跡かもしれません。(「私にはいるよ」という方。羨ましい!)

「夢は破れない」

夢が実現したら・・・素敵ですよね。
でも、もし実現しなかったら?
人生において「負け組」になってしまうんでしょうか?

私は絶対に違うと思います。

仮に実現しなかったとしても、いろんなことを学んだはずです。
そこから違う可能性が生まれたり、夢の軌道修正をするかもしれません。
「実現しなかった」と言いながらも、そこでプラスになるものが確実にあるはすです。

こう言うと「失敗から学ぶ」を連想されるかもしれないのですが、この言い方は私には「同じ間違いは繰り返さない」というイメージがあって、それは私の言いたいことではないんです。

例えば、イラストレーターになりたいと思って、絵の勉強をします。
必要なソフトのスキルも身につけます。
でも、何らかの理由で違う職種について、イラストレーターにはなれなかったとします。
「イラストレーターになる」という夢の実現から言えば「夢に破れた」ということになってしまうのかもしれません。
でも、学んだ技術は間違いなく自分のもので、イラストレーターじゃないから役に立たない、なんてことはないはずです。
技術じゃなくても、勉強方法など自分なりに工夫して、学び方を覚えたと思います。それを生かして「自分」を生きる道がきっとある、と私は思います。
それに「イラストレーター」にはなれない、なんて誰が言いました?
いつか機会が巡ってくるかもしれないですよね? 人生、まだ終わってませんし。
せっかく機会があっても、知識と技術がなければチャンスを逃してしまいます。いつか「その時」のための準備は万端にしておきたいものです。

本当の夢は破れません。
自分が諦めたときに終わる、のです。
夢に向かっている間は「学んでいる」だけで「失敗」はありません。

すっかり長くなりましたが、

だから、夢を諦めないで

と、実はこれだけ言いたかった、というのが今回のテーマでした。

20年以上の海外生活に終止符を打ち、2020年後半には日本へ帰国します。サポートは皆さんとお会いするときのお茶代として還元させていただきます。