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【自己紹介】最愛の母が余命宣告されたからnoteを始めたよ。


私は転勤族6年目で今は大分にいる。
今まで埼玉東京鹿児島福岡大分に住民票を置いたことがあるが、今のところ1番大好きでお気に入りの場所に巡り逢えた。
どうしてさっしーが東京にいるのかわからないほど大分はいい場所だ。


4歳の息子いっくんと1歳の娘はーちゃんとクマのような旦那さんの4人家族で、もう増える予定はなく完成形である。多分。

私は14歳の時に父を亡くし、
33歳の今、母ともうすぐお別れをしなくてはいけなくなった。
両親共にいない世界で生きていくことになるには結構早い方かなと思う。

親にもなり33歳という年齢は結構大人だと分かっていても絶対的な味方と帰る場所が無くなるのは私にとって恐ろしく怖い世界だ。

私の実家は埼玉にある。
帰るのも一苦労な距離だが、実は飛行機に乗っている時間は1時間くらいで結構短い。
羽田なり成田なり空港が遠くて、残念ながら埼玉という土地があまり好きになれないのよな。


母は2ヶ月前に余命1.2ヶ月と宣告され、年を越すことはできないと言われた。
もうすぐその2ヶ月になろうとしているが、まだ生きてる。一応大丈夫だ。
この2ヶ月私は娘として母として結構複雑な気持ちで過ごしてきた。
なぜそんな大変な今のタイミングでnoteを始めたかというと、この気持ちを吐き出す場所が欲しかったし、うんまぁずっとやりたかったから。笑

私と母の大切な最期の時を少しでも忘れないように、思い返せるように些細なことも感情も正直に嘘をつくことなくメモに書いてきた。
それがどんどん溜まっちゃってnoteに整理したくなったってのもある。

そしてなにかに寄りかかりたいとたくさんの本を読んでは、違う。タイトルを見て惹かれても、なんか違う。となかなか今の自分にぴったりの本に巡り合うことができなかった。

それでも寝れない時間を潰すために、考えすぎる頭を休ませる為にいろんな本を読んだ。

自分のメモも何度も読み返して、毎日些細なことも気持ちも書いて心の整理をつけてきた。

いろいろありすぎたこの2ヶ月。
経ってみると人間ってすごいなと思えるほど、解決策を見つけようと必死でもがいては自分なりの落とし所を見つけて生きていく。
この私にとって宝物になる一生忘れずにとっておきたい記憶を写真と共にまとめていきたいと思ったし、全くもって同じ感情の人はいないけど少しだけでも心を整理する近道になったりしたらいいなと思った。

あと子供達は大きくなったらおばあちゃんの存在を覚えてないだろう。
実際私も大人になるまで生きていたのにおばあちゃんおじいちゃんのことって全然知らないなぁと思った。
母が何を考えてどう生きてきたのか、今必死で掴もうとしているけど足りないから。

わざわざ言うことでもないけど、大切な思い出とか私の中で思い出したタイミングで書いていっておばあちゃんを感じてもらえたらいいなと思う。

母を失う代わりになにか残るものが欲しかったのかも。
落ち着いたら、子供達の日常のことも書いていきたいなぁ。

まだ途中の私の物語。
今はずっと途中でいてほしいと祈ることしかできないから、ここまで読んでくれたみんなも祈ってくれええぇ。

ありがとうううぅうう。

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