見出し画像

心身共に不調

週末の夜は色んな人がいる。
楽しそうに笑い合うカップル。
スーツを身に纏う、おそらく上司と部下であろう社会人。
友人同士で語らいながら歩く大学生。
労働や勉学の枷を外された人達が闊歩する週末。
皆が楽しそうで、幸せそうで、
街に活気が溢れる週末。

「はぁ、、。」
ため息をつき、人の波とは逆方向に帰路を歩く。
道行く人々の笑顔を見ながら幸せとは何かについて少し考えた。
結局、『人それぞれ幸せの形は違うのだろう』
という結論に至ったのだが。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
じゃあ、自分にとっての幸せとは?
それがわからない。
自分の人生の上でこれだけは叶えたいという夢はある。その夢を叶えられた時はきっと幸せなのだろう。
でも、自分が今欲しいのはそんな大願の成就では無いのだ。

日々の少しの幸せ。そんな小さな幸せが欲しい。
楽しいと思えること、心から愛せる人、そんな何気ない幸せ。
そんなものきっと自分次第 分かってる。
行動次第 分かってる。
頭では分かってる。
こんなことを考えていても仕方ないのだろう。
それも分かってる。
実は分かってるんだ全部。
でも、ままならない、心のつかえが取れない。
些細なことのはずなのに、心の底に染み付いている。
(あぁ、人生ってこんなもんなのかな。)
(自分はただ悲劇のヒロインを気取りたいだけなのだろうか。)
いつの間にか染みは広がっていて。
いつの間にかそれが当たり前になっていく。
それが当たり前になっていく日常は灰色に見えるようになる。

こんな日常で笑う自分。
果たしてそれは自分なのか?
結局表に出している自分が全てなのだろうか。
『人間誰しも闇がある』
なんて言うけれど、表に出している人間性は偽りなのだろうか。
人間なんて必ずどこかで心の内を消化するのだ。きっと他人に見えるところで。
そうすることで自分の人生に意味を与え、何も無い日々に彩りを与えたがるのだろう。
自己の承認などたかが知れているから。

幸せを求めるのもそのひとつなのだ。
灰色の日常で、代わり映えのしない毎日で
自分という人間が壊れないように。
ちゃんとこの世界を楽しんで生きられるように。
まずは、小さな幸せから。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(また考えこんでしまった、、。)
あれこれ考えすぎるのは自分の悪い癖だ。
そして、考えれば考えるほどマイナスになっていく。これも悪い癖だ。
それをこうして文章を綴ることで消化する。
簡単に言えば承認欲求だ。
自分は間違えてないと認めてもらいたいのだ。
(きっとこれも幸せなのかな)
なんて考えながら書くのだ。
我ながらいい性格をしている。

「ただいまー」
返事が返ってくるはずもない言葉。
無音の部屋の中お香に火を付け、同時に煙草に火をつける。
(今日はMONKEY SHOULDERにしよう。)
グラスに氷を入れてウイスキーを注ぐ。
好きなアニメを垂れ流しながら、酒を口に運ぶ。
自分に酔いしれる時間。
この時間も幸せの1つなのだろう。きっと。
新たな発見だ。あれこれ考えた甲斐があった。

そういえば、誰かがこんなことを言っていたな。
『他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる』
結局、自分次第か。ままならんものだな。
人間とは他人がいないと生きていけないのに。

てか、クソ長いなこの文章。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?