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「岐阜市歴史博物館」思わぬ遭遇!

*今回の記事は有料であって、半分そうでないように作りました。見聞録ではありますが有料部分を作っておりませんので、お気軽にお立ち寄ってご覧いただければ幸いです。

こんにちは。
今日、ここで見た光景を小泉八雲が見たら、きっと喜ぶんじゃないかなと心からそう思いました。私は子どもたちの学んでいる時の好奇心が施設に飛び交っているようでとても嬉しかったです。
訪れる前、たまたまテレビでちらっと岐阜の博物館で、明治から大正のまでの展示をしているのを知りました。歴史の流れる機会が見られるのはいいなと思い、そんなこんなで、今回は岐阜の「岐阜歴史博物館」を廻ってきました。平日だったからか、人は少ないかなと予想していました。ところが、大きな誤算でした。一階展示場は小学生の子たちでいっぱいでした。どうやら、子どもたちの学習訪問に被ったみたいでした。個人的にはこんなに子どもたちがいるとも思っていなかった予想外の事態でしたが、結果的にこの記事を書こうと思うエネルギーを貰えたので、かれらにとても感謝です。


学校風景

私が博物館で一番知っておきたかったのは、昭和や明治の「学校風景」に纏わる展示でした。ちょうど、子どもたちが実際の授業を学芸員さんから授業している時だったので、「こんなふうに昔はやっていたんですよ。」「教科書はこんなのであったり、当時のひらがなはこういう風に書いていたんですよ。」と見る事ができました。扉も開いていて、声はしっかり響いてました。入るのに気まずさがあったので、外側からどんな感じか聴いていました。けれども、違う学芸員さんか先生なのかわからない大人の方から「どうぞ」と手で示されたので、邪魔にならないようにありがたく遠慮なく入らせて頂きました。子どもたちはしっかり前を向いて、講師学芸員さんの話に耳を傾けていました。

子どもたちの学校態度について、前に小泉八雲の記事でも書いたことがありました。彼は子どもたちに教える際日本の子どもたちはとても礼儀正しく丁寧であることを快く思う反面、テストや意志主張において個性がなく皆がまるで同じような回答をするという事に強い懐疑心を持っていました。それを随筆として記録したものの一部です。
授業を実際に見て、この状態を八雲は違和感を覚えて危惧したのだと擦り合わせられたように思います。子どもたち全員が目上を敬い、上が下に教える、読み書きそろばん、道徳やお国の為というのを倣う(習う)という感じでした。ですが、後半時間の「学校」展示内を自由に見て回っていいよなった瞬間、子どもたちが各の関心の物に向かって飛び回る、質問する、触る、が許可されさっきまでのしんとしたのが嘘のように活気づいて驚きました。あまりの元気さに度肝を抜かれましたが、それ以上に子どもたちの興味の熱に感動しました。めっちゃはしゃいでて微笑ましかったです。

なんだか、「となりの」を思い起こさせるお弁当

子どもたちの見学?体験授業?が終了してから、展示の資料をゆっくり調べさせて頂きました。教科書である以上、全員が同じことを学ぶのはベースになっているみたいでした。机の中にあった、教科書の複製品、捲ってみました。恐ろしいほどに、フィードバックのような項目が見当たりませんでした。実際の授業の中で自身の意見を言い合える機会はあったのだろうかと疑問でした。見ている感じではその時間はなさそう、子どもたちと先生で仲のいい場合は、休憩中にあったりはあったのかもしれませんが全体でそれは厳しかったのではなかろうかと思われます。一コマ何時間なのかとかまでは分りませんでした。鐘が鳴ったら合図という感じで、明確な時計は見えませんでした。なので、当時の学校授業は本当に基本の「方法」(読み方、書き方、作り方、計算の仕方、実験のやり方、などなど)ができたらもう次に行くというスタンスだったのが目に浮かびます。

一旦離れて、他の当時の展示場も回ってみました。子どもたちの興味の多くは当時の黒電話と公衆電話、だったみたいです。ここの人だかりは凄かった。他にも生活様式に欠かせなかったものが沢山あったなか、子どもたちの熱烈な関心は玩具にもあったように思われます。当時の遊びには技術のいる物が多いのもあってか、失敗しても何度も成功するまで続けていたのが印象的でした。だるまおとしや独楽回しって今でも難しい部類の玩具に思われます。できた時に「できたよ!」と声が上がっているのも素敵でした。授業ということを忘れているくらいの熱気とリラックスがあるみたいでした。

歴史展示

さて、一階はあとでみるか考えるとして、次は二階の古代から近代までの流れにそって時代に合わせて見て回れるような構造になっている展示場へ。私一人だったので、これぞ平常という感じでした。先ほどの賑やかさとは一転しました。
古代は縄文とかのまさにーというところから始まり、文化が流れて、中期、だいたい織田信長が活躍した際に「楽市楽座」が敷かれた時の場面がありました。そこで「これなんて書いてあるの?」と年長くらいの子どもが道行く大人質問する様子があって、「そうか、「字」を知らないから、当然読めないし、理解できないんだ。」と再認識させられました。だから、大人の「話したこと」が子どもにとっての事実なんだと気づきました。これ、大人が書いてあるのとはてんで違う事を言ったらそれを本当だと思う子ども、詐欺に近い状態にもなりかねないことなんだと思わされました。
時代が後になって識字や計算の練習ができる環境がでてきて年齢や家業にっては、若くして仕事に就く子もいたでしょう。ただ、多くの子にとっては、字も数字もただの形で意味が解らなかい方が圧倒的に多かったんだろうなと予想されます。

二階にも近代の教育に纏わるものがありました。こちらはどちらかというと、今のようになった起因についてのが近しい気がしました。皆さんはなぜ日本で学校ができたかという質問をされたらなんと返されるでしょうか?その答えの一部がここの展示だったのではないかなと私は思います。
明治で開国になりつつあった日本が、急激に世界に合わせなくていけないために、なんとか子どもたち全体に一般教育になる読み書き算盤、理科、家庭を詰め込まなくてはならなくなってきたようでした。その為に西洋の「学校」という制度を取り込んで出来たのが今の学校があるようになったきっかけのようです。これが先生も一方的に伝えることになった構造の発端なのではないかなと思います。先生もまた、状態に追いついていなかったからまずはこれまでの「知っている者が知らない者へ伝達する形式」で「教える」というタイプができたんじゃないかなと思います。さっきの中期でもそうですが、大人や目上の言った事=正しい事になってるの今でも結構見かける気がします。なので、子どもたちは正解探しをしがちになのかなという印象がありました。「大人言うことに口を出すんじゃない、言う通りに動きなさい」という命令調はこのあたりに一気に増えたのではないかなという気がします。また、なぜ教科書が今のようになったかに関しては以下の説明が印象的だったので転記させていただきます。

近代の教科書
明治5年(1872年)学制公布により当初の教科書は自由採用制。西欧諸国の教科書翻訳したもの明治19年小学校令により、教科書も検定制度の下で発行。教科書疑獄事件(贈収賄事件)の発生などを背景に、明治36年から国定教科書制度を実施し、37年から国定教科書となった。戦後は文部省著作教科書を経て、昭和24年の使用から現在の検定制度が始まった。

贈賄などの件がなければ、自由にあったかもしれないというのは驚きでした。公立か私立で扱う教科書が大きく異なる分岐点もここかもしれませんね。

この表示をメモ書きしている時に、回っていた子たちが私の横にある昔のラジオを興味津々に見ていましたが、触っていいのか不安そうで見ているだけでした。触ってもいいとあるのに、ためらっているようでした。折角ならしてみたらいいのにと思ったので、電源だけオンに入れてあとは子どもたちに「ここ回したらいいらしいんだけど、お願いできる?」とお節介を振ってしまいました。そこからやってみるとダイヤルを回しに躊躇がなくなって、ポイントを探しに一生懸命でした。私の代わりにチューニングしてくれた子どもたちはとても耳が良かったのか、ほとんどノイズしか聞こえない中で「声が聞こえた!」と口々に言っていました。かろうじて自分も聞こえましたが、多分聞こえ方は彼らの方がはっきり聞こえているのかもしれません。そこにも集中力や若さに感嘆しました。

所感纏

手を出してしまったけども、あえて見守ってどうするか見ているか声を掛けるのにとどめておいた方がよかったのかなとも後で悶々としました。どこまでがちょうどいい関わりなのか、そういうバランスも心掛けなくちゃいけないなと課題が見つかりました。
何でもかんでもわーっと伝えるのも、何も関わらないもの、なんかこれは違う気がする違和感を覚えました。伝える受け取るそのバランスが大切な関わり合いは、その線引きが深くて、難しくて、不安にもなってくる、けど受けた相手の達成している場面や新しいなにかのきっかけになっているのを見るとほんの少しだけこれでよかったのかもしれないと報われた気持ちになります。本当にそうかは神のみぞってところもありますが、少なくとも自分の関わった中ではこれが正解だったんだと様子からそう思います。

私がよく読む文豪の小泉八雲、夏目漱石、折口信夫は本を書く傍ら先生でもありました。北原白秋は国民詩人と呼ばれながら、子どもたちに多くの詩を遺していました。「先生」という関連が自分にとってしっくりくる核なのかなという気がします。彼ら自身についてを歴史から忘れないのも大事です。また、それ以上に彼らが遺してくれた意志や意図も自分の中で崩して編みこんで活かすのもまた大事なのかもしれません。先人の粋な計らいってやつですね。
漫画だと私は「暗殺教室」や「Dr.Stone」が好きです。教える側の線引き、教わる側の成長、物の見方の変化や発案や工夫の仕方、ちょっとコミカルのぶっ飛んでるところなどが素敵です。堅苦しくないので、すっと「教育」や「学習」についてが入ってくるので、面白く感じます。
学びと遊びが密接になったら、学ぶって底がないんだって楽しめるかな。

この記事が博物館ちょっと行ってみるの面白いかもという好奇心に触れられるものになれたら幸いです。ここまでお読みいただきありがとうございます。

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