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猫になれない 2019.10.3

スピッツの「ありがとさん」のMVが公開されていた。割とゴツいギターを持った草野マサムネが歌っていて、いいなあと思った。身体の無駄なところに一切力が入っていないのに、決してふらついたりしない。重力が身体の表面を流れて水のように下に落ちていくみたいだ。わたしはもう10年近くスピッツのファンで、何度もライブに足を運んで実物を見てきたというのに、こんな風に思ったのははじめてだった。曲ももちろん良いんだけど、草野マサムネそのものに目が吸い寄せられる。不思議。


車通勤の際にはよくスピッツをかける。スピッツ以外にも好きなバンドやミュージシャンはいるんだけど、普段あまり音楽を聴かないので最近耳にするのは専らスピッツになる。行きは『蜜蜂と遠雷』に感化されて聴き始めたクラシックが中心で、帰りはほとんどスピッツ。精神の調子が悪かったりくたくたに疲れていたりすると自然に歌い出す(悪ければ悪いほど声が大きくなる)。東京の満員電車のニュースを聞くたび、大変だなあと思うと同時にちょっと可哀想になる。東京の人は、通勤電車で急に歌いたくなったらどうするんだろうか。駅でよく見かける地面に放射状に広がった痕跡は、本当は歌いたかった人の傷なのかもしれない。


車を運転していると、自分が空っぽの大きな膜の中にいるような気分になる時がある。交通量が多い国道を走っている時や、細い道に右折で入る時とか。幸い事故を起こしたことはないけれど、目の前を走っている車が何なのかよくわからなくなる。道路に引かれた白線の意味がわからなくなる。わたしが今握っているもの、わたしが今踏んでいるものが急速に形を失っていく。よくわからないけれど、頭上の光が赤から青に変わったらみんな走り出す。日が落ちるのが早くなって、空が暗くなる代わりに、みんなが赤とか白とか黄色とかピカピカしはじめる。世界の解像度が著しく落ちる瞬間、なぜかスマホから流れるスピッツを口ずさんでいたりする。わたしにこの世界の適正はないけれど、自由に歌を歌えることだけは守らなければいけないな、と思う。

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