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note を捨てろと言われたので。

noteを書き始めることにした。
去年のうちに終わらなかった掃除の続きで、使ったノートの山に手をつけ始めたら、いきなり横から日系4世のアメリカ人の夫がいう。

「(ここから英語)そんなノスタルジックなものが一番ゴミだって、こんまりも言ってたぞ!」何でもこんまりさん、Netflixにも進出して、片付けライフの伝導に励んでいるらしい。

ごもっとも。

正直、アメリカにきてからではなく、日本にいた時からのノートも、ご丁寧に持ってきている私である。その量は、ひとりで紙をいっぱいに入れてもてるサイズのダンボール箱3つはある。どうしたものか、自分でもわからずにいた。

でも、捨てられない。

初めて海外生活をすることになって、実家の自分の所有物を整理する時に、中学生から書いていた日記やノートを全部燃やしてしまったことがある。残しておきたかったけど、家に置いて、誰かに読まれるのも嫌だし、いつ日本に帰ってくるかもわからなかった。

燃やしてしまおう。
ちょうどいい機会だ。私、御年21歳の時のことである。

どうせ燃やすなら、お気に入りの海岸で燃やそう。車を持ってる隣町のTくんに頼んで、ダンボールを運ぶのを手伝ってもらった。

月の明るい夜だった。
線路脇の神社に車を停めて、ダンボールを抱えて線路を渡る。
悪いことしてるわけではないけど、なんかドキドキする。
夜に、焚き火するのも、初めてではないけど、
自分の秘密を燃やすっていうのは、なんか犯罪っぽい気持ちになる。

多分、1時間ちょっとくらいの間だろうか。
炎を眺めながら、日記が灰になっていくのを見届ける。
Tくんも、ちょっと距離を置いて見てた。

そう思って燃やした日記を、今になって思い返す。
インターネットもない時代。自分の字で書かれた日記、文章に、もう一度会えたらと思うことが時々ある。燃やしたこと自体、後悔はしていないけど、あの頃の生な自分が、あの夜、全部、灰になって、ふるさとの海の一部になったと思うと、そんなに悪い気分ではない。

昔の日記なんて、しかもティーンエイジャーの時の自分なんて
思い返すのも恥ずかしいけど、
子供を持って、育て上げたこの年になると、
そんな昔の自分さえも、自分の子供のように愛おしくなる。

なんて、ノスタルジーに浸る時間ができちゃうから
こんまりの口を借りて、夫に「捨てろ!」なんて言われる。

さて、時代は21世紀、
問題は、今あるダンボ−ル3箱の捨て方!

「よしっ!じゃ、一冊ずつ記録してから捨てよう!」
ノートの多くは、途中までしか使ってなかったり、
さして、重要なことが書いてあるわけでもないので、
ノート自体の存在をまるごと編集してみよう。

そう決めて、どうやって記録するかと思った時に

「やっぱ、noteでしょう〜」

と、たくさんの時代の、たくさんのノートに生きた私(達)が
一斉に声を揃えた。(ような気がした)

2019年1月2日、note に記す私(達)の
ノートブックの記録、始めます。

#noteofnote

*ちなみに、夫は、こんまりの番組を見ることができなかったそうである。
理由は「自分が片付けができてないから、見るのが恥ずかしい」って。

次回予告>アメリカに来て、最初の仕事で使ってたノート!

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