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グリーンカード抽選に応募した理由

かつてはノマド生活の冬の拠点としてフィリピンをメインに考えていた

2009年にフィリピンのリタイヤメントビザを申請した。

当時はまだ働き盛りの40歳代であったが、退職後の生活に漠然とした不安を抱えていたからである。

日本の世代別人口と出生率は将来多くの高齢者を抱え、しかも若い人たちの人口は近い将来、増加するようには見えなかった。人口ひとりあたりのGDPを含む経済成長率はまさに「失われた30年」のさなかにあった。

この傾向は現在も変わっていない。

仮に日本で年金生活ができたとしても、社会全体が荒廃すれば、人々の心は概してすさんでくる。「食べていけるか」と「明るい社会で生きることができる」かは別の話だ。

退職者ビザ取得後に感じた変化

それまでもフィリピンには幾度となく訪れていた。

温暖な気候、美しい自然、英語が通じること、日本から比較的短時間で移動できること、物価が安いこと、明るくフレンドリーな人々、こどもたちの笑い声、経済成長期の国ならではの活気と躍動感、イスラム教国と比べ酒税が安いこと(のん兵衛の私としては)等々、フィリピンは魅力にあふれた国である。

他方、大陸中国からの移住者、来訪者が年々増えてゆくことを肌で感じるようになっていた。

当時は30歳代で退職者ビザの申請が可能であったこともあり、退職年齢から程遠い世代の中国人がビジネスを行うためにビザを取得するケースも多かったらしい(このことは、のちにフィリピンでも問題となり、現在、ルール改正されている)。

移住者が増えること自体は、問題だとは思わない。人は出生国を選べない。誰であれ、チャンスを求めて、移動する権利があると思う。ただ、移動先の人たちとの共存、共栄があってこそだ。

いうまでもなく、こんにちの中国は経済的なプレゼンスのみならず、軍事的、政治的にも大きくなってきている。

フィリピンの友人たちと話していると、一方的な隣国の脅威に対する批判を訴える場面も、多くなった。

日本同様、フィリピンもまた、大きな地政学的リスクを抱えていることを感じた。

特にフィリピンはクラーク、スービックといった米軍基地を1990年代に撤退させた経緯を持つ。その後、中国による領海侵犯が増えたと聞く。

日本もまた尖閣諸島問題、台湾有事の可能性に加え、北朝鮮による核実験、ミサイル実験、ロシアのウクライナ問題等、武力による現状変更を強行しかねない隣国に囲まれている。

40代は日本における老後の社会保障のヘッジだけを考えていたが、50代になって、安全保障のヘッジを考えるようになる。

いつしかグリーンカードの抽選に応募するようになっていた。



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