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日本という国の、肉体年齢と精神年齢のギャップを埋めていくために。

コロナによって、その人の本質があらわになったと言われている。

仕事柄、人を精神年齢で観察する癖がありまして、実際の年齢と、行動とのギャップに唖然とすることが驚くほどあります。

肉体は植物と同じように、時間と共に進化変容するのだけれど、精神年齢は自分が意図しないと進化しないので。

便利で快適になった反動で、自分にとって、不都合なことや不快なことを遠ざける癖がついたり、失敗のチャンスを先回りして積まれてしまったりすると、仮に肉体や思考は50歳であっても、心(意識)は小学生で止まっている状態になります。

いや、50歳どころか、70歳でも80歳でも・・・小学生という人、多いかなあ。


精神年齢と、その具体的な状態は段階的に分類できるのですが・・、

例えば、

心の幼稚園児や小学生は、ただただ幼稚なので・・、

・自分の思い通りにならないとむくれちゃう。
・必要な試練を駄々をこねて拒否する。
・嫌いなものは食べない食わず嫌いのまま、自分の好きな快楽にふける

な状態 

コロナによって露呈した姿でいけば・・・。
コロナに感染した人をばい菌扱いするとか、
トイレットペーパーやマスクを買い占めるとか、風評をばらまくとか、

自分のことしか考えない状態。

心の中学生(思春期)は気持ちが揺れ動く不安定な状態なので・・・、


・失敗や自分に対する否定や批判に反抗し、逆切れする、とか、
・否定や批判に過剰に反応して、被害者意識を増大させ心のシャッターを閉じる。(返事をしないとか、いきなり関係を絶つとか)


ような状態。

コロナ目線だと、
ネットで人を匿名で攻撃するとか。
その批判に自分も便乗してストレスを発散するとか、
風評(権威)などで、人を差別するとか。
緊急事態宣言下でも、周囲に配慮なく遊びまわるとか。





心の高校生くらいだと、正義感を発揮し過ぎたり、
その一方でちょっと外面がよくなる部分もあるので・・

・自分が納得いかないことは、我慢して抑え込むとか
・ことなかれ主義を決め込んで、物事を改善しようとしない、とか、
・正義感あふれるあまり正しさから人を責め裁くとか、
・どうせわかってくれないから、と長い物に巻かれてよい子ちゃんでいる。

とか・・・、

コロナ視点だと
事情があるなしに関係なく外出している人をにらみつけ責め裁くとか、
逆に、

きちんと状況や事情を説明すれば許可が出るはずのことも、みんな我慢してるんだからと良い子ちゃんを決め込むとか、


心の大学生~20代・・・になると、志と処世術の板挟みに悩む時期なので・・。

・わかった大人のふりをして、波風は立てないようにして、自分を含めた世界を成長させる行動は選択しない。
・我田引水のために水面下であれこれ画策する
・自分の価値観の違うものは、権力で排除する。
・自分ファースト 自社ファースト 自国ファースト
・自分の好きなように世界を支配したい。

もうここは、コロナうんぬんというよりも、日本およびあのお国のトップやそこに群がる小役人たちや、利権で政治や経済を動かしている人たち・・・

みたいな感じ? 


本物の小学校の低学年が、たまに駄々こね・・・
本物の中学生が、コミュニケーションを誤って周囲とぶつかり・・・
本物の高校生が、正義感に任せて人を責め裁き・・・・
本物の20代が、自分の損得だけで動き・・・

その結果自分が痛い目にあったり、自分の中の良心の呵責に耐えかねなくなって、反省して成長して次のステージへ・・・ということは必要な進化のプロセスで

それをやってみて、自分のことばっかり考えていると、結局自分を含めた世界全体が幸せになれないんだな、ということに気づき人間性を成長させていく・・・はずなのだけれど、


残念ながら現在の日本の教育や意識では、必要な経験をその年齢で体感するチャンスが殆どないように思う。


人に批判されないように、失敗をしないようにと過保護に親が先回りしたり、正解をあてがうだけの教育システムが、人間性の成長を妨げている中で、

実はそれでも、本人に成長意欲がありさえすれば、救いはあるのだけれど・・・自分が成長するつもりがなければ、肉体だけが成長し(年をとり)、ふんぞり返った利己的な大人や老人ばっかりになる。

そうやってみていくと、

今の日本という国は、

本来であれば、仙人や聖人として、もう自分はいいからと、ただただ世界に貢献するくらいの成熟度になっているはずの70代、80代の長老と言われる人たちですら、心は依然20代くらいの「大人子供」を通り越した「老人子供」「老人20代」たちが、出世や名誉欲に溺れ自分の都合よく政治や経済をコントロールしていて、

「大人高校生」が、それを鵜呑みにして、ものわかりの良い顔をしてその流れに従ったり、そのルールに従わない人を責め裁き排除したりし、

「大人中学生」が、そんな理不尽さに、腹を立ててあばれて、
「大人小学生」が、自分の無力感を持て余し、わあわああわ泣いている

みたいな構造になっている・・・。

極論だけども・・・。この構造そのものを何とかするために、

大人子供のせいにして人任せな意識でいるだけなら、結局自分も大人幼児でしかないので・・・。

今の自分が成長していくしかないし、
今の自分ができることをするしかない、
今の自分からはじめていくしかない、


たとえ精神年齢が現時点で小学生であっても、中学生であっても、それに思い悩み浸っている時間はもったいない。

たとえ微力であっても、
非力ではないと信じてそれぞれが行動していくしかない。

これまでの自分が、子供であろうとなんだろうと、それは棚にあげてもいいから、

「ここから成長させてください、成長していきます」と願い(意識し)、

その微力さや無力感にさいなまれながらも、成長する意志を天に示せばいいだけ。

成長する意志を示すとは、ただ祈るとか願うではない、
祈ることも願うことも、それだけならば子供だってできる。

大人になるには、具体的には行動や発信。
自分の意志で、自分の名前で。自分の肉体を通して。自分の言葉で。

まずは、世のため人のために、
今の自分にできることを、していくことで、

今の自分だから、できることを増やしていく。

それがやがて、
今の自分にしかできないこととなる。


ひとりひとりが、非力ながらも、今の自分にしかできないうことをしたら、それはもう立派に自立した大人。

自分は無価値観にさいなまれることもなくなる、
世の中や世界が少しでもよくなっていく。

そのために、人がやらなくても、自分はやろうと。

一歩一歩前進していくしかないんですよね。

そして、それをしていくためにも、まず一番最初にすることは、
自分自身を、本当の意味で大切にすること。

心配して可哀そうと、甘やかすのではなく、
やたらに我慢を強いるのではなく、
工夫し努力し、心地よく、

おてんとうさまに胸をはって生きられるように、
自分を整え、鍛え、健やかに成長するように、
目の前にやってくるできごとと向かいあっていくこと。

それしかないかなあと。

以上 ふと湧いたこと。

自分が未熟なことを棚に上げて、偉そうに、と非難される気もないわけではないのですが、そうやって黙っていることが、遠くない将来、地球が大人子供の猿の惑星になってしまうことにつながると思うので・・、

その行動や発信が、自分自身を成長させてくれることを願い、
自分のことは棚に上げて、行動や発信をしていく人が増えるといいなと。

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