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ウィーンまんぷく日記 43-44/369

 もしかして:虫歯

 なんか最近歯が痛いのです。再来週日本に戻ったら診てもらおうかな。甘いものをあまり積極的に取る気になれないので夕食のほうを楽しんでいます。ポン酢を手に入れて以来、湯豆腐やら鳥の水炊きが楽しくて美味しいです。
 この3日間はにわかに忙しくなってきたように感じたけれど、一日一つくらいしか用事がなかった。なんでそれだけでこんなに大変なんだろうと思ったけど、言葉や道がわかってないこともあって、一つの用事をこなすだけで大仕事になるからだろうか。

 水曜日は、同僚の先生にStudent Activistの方にお引き合わせいただいた。いわゆるアナーキスト、アウトノミストの活動に近く、つながりもあるようだが、奨学金や大学自治に関するイッシューがやはり学生運動独特。いわゆる運動に参加しない「一般学生」の意識はそれほど日本と変わらないような印象を受けもした。詳しいことはまた論文か何かで書くけど、私は何となく、社会運動に関わっている学生さんをここに連れてきたら、きっと楽しいだろうなと思った。私は社会運動をそれほど本格的にしたことがないからわからないが、学生運動でも反グローバリズム運動でもオキュパイでも、国際連帯を志向した人はおそらくそれ自体に楽しみを見出したという部分もあったんじゃないか、と感じられる時間だった。

 研究室に戻ったら、郵便物が机に置いてあった。『政治において正しいとはどういうことか』のご献本。本をご恵贈いただけるのはいつでも嬉しいけど、こう日本語の本があまり読めない(もちろん持ってきてはいるけど)状況ならなおさら。何か、著者の方々に直接訪問していただいたような嬉しさがある。とくに序章の問題意識は、私の新しい本が書ききれなかった部分についてきちんと問題化している印象を受け、その点でもありがたかった。

 木曜日は研究室で勉強していたのだが、マウスがぶっ壊れて、予備のものとかないか探していたら私が過去に滞在していた時に買ったUSB扇風機とかが出てきた。お前、こんなところに......。夏になったら使わせてもらおう。あとはキッチンで先生方とお話したのだが、「日本の羽衣のチョークがよいそうだから買ってきてほしい」と言われた。さすが日本学科というか、リクエストいただくお土産も通好み(どころではなくマニアックな)物が多くて、こだわりを聞くだけで楽しい。
 夜は、日本学科の先生が演奏される三線のコンサートに伺った。日本語のオリジナルのものもあれば、歌詞をドイツ語や英語でアレンジしているものもある。全体にとても切なくてよく、大切な人に会いたくなってしまった。 

 5月9日は、いまの私にとって少し懐かしい日だ。ちょうど1年前に、川崎の中高一貫校でお話をした。4月に出た新刊はこの講演がもとになっている。講演の内容は12時間前までほとんど考えていなかった。「わがまま」というキーワードは、ウィーンから成田に向かう飛行機の中で考えた。講演をベースに編集者さんからご企画をお持ちいただいて、一年間都内でお話合いをしながら作っていった。学生だろうと生徒だろうと、一年あればすぐ変わる。大学2年から3年になれば就活を意識するようになり、高2から高3になれば部活で部長とかになったりして、自分の権力にも自覚的になる。彼らと話していて、そういうことが楽しかった。就職してからうだつが上がらず、ろくに変われず、変わったとしても失うことばかりの自分には、そうした変化がとても新鮮だった。
 ただ、この一年を振り返ってみて、自分は本当に変わらなかったのだろうかと思う。対談本のゲラをチェックする過程で、一年前、半年前の自分の語りをひたすら直すことになった。思いやりに欠ける表現を変え、傷つける可能性のある項目はできる限り工夫し、想定読者である中高生に「自分のことだ」と感じさせつつ感じさせすぎずの言葉を探った。
 今もそうだが、一年前の自分はずいぶん乱暴で、「こんなことを中高生の前で言ってしまったのか」と配慮に欠ける言動を思い返しては赤面することも多く、何度ブルーブラックのインクをぶちまけようと思ったかわからない。

 この一年、ろくな業績も出せなければ、大学の仕事もミスをするし、教育だってどんなもんだか、という感じだ。ただ、人との関わり方は変わったように思う。いま周りにいる人の、目に見えるようで見えていない、ここに至るまでの過程に思いを馳せることが多くなった。
 何も得られず、だいたい変化したときはなにか失ったと思うことのほうが多い生活だが、自分はまだもう少しだけ変われるのかもしれない。

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