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ウィーンまんぷく日記 78-79/369

 カフェ・ラントマン(マックス・ウェーバーが激おこしたカフェ)で、日本からいらした政治学者の先生と、ウィーン大学の政治学者の方と、遊びに来ていた友達であり、富永の研究室に出入りしていた元「ポスドク氏」のT氏とご飯を食べた。皆さん博識でとても勉強になったし、なんというかいい意味で政治オタクと言う感じだった。それは社会運動研究者が運動オタクというのとはやはり違うと思う。もう少し辞書的で網羅的な知識のように思えるし、研究を進める上で必須の要素が多いように見える。それは対象が制度化されているから当たり前なのかもしれないが。
 T氏が「俺もう現金ないから換金してくる」というので、両替か?と思ったらトラベラーズチェックだった。昔の『地球の歩き方』に広告ありましたよね……。


 夜は23区で行われた学科のパーティーに行き、先生方といろんな話で盛り上れてとてもよかった。学科の先生たちはみなさんすごく親切にしてくださって、以前「学科でどんなこと話してるんですか?」と日本の友人に訊かれたことがあり、「えっと...下ネタとか...」と言ったら絶句されてしまったが、そういう話にもお付き合いくださる素敵な先生たちなのである。(先生方の名誉のために、いつもそういう話をしているわけではないです!私がそういう話好きだから印象に残ってるってだけの話)

 週の後半は、来週の報告に向け、日本の社会運動論の近年の動向を踏まえなくてはならないと思い、小杉亮子さんの『東大闘争の語りーー社会運動の予示と戦略』(新曜社)、中根多恵さんの『多国籍ユニオニズムの動員構造と戦略分析』(東信堂)を読み直す。改めての感想は、もう少し他の論文も読んだ後にまとめて書きますが、どちらもいい本です。後は少し隣接領域になってしまうけど、高田昭彦先生の『市民運動としてのNPOーー1990年代のNPO法成立に向けた市民の動き』(風間書房)も。
 しょっちゅう「これでよかったのか」と思うことがある。同じ研究分野(で、かつ「正当」な問いを掲げているように見える)、私のように悪目立ちすることのない、同世代でより真っ当な研究者の方々の著作を見ていると、私が流されてであれやってきたことは間違いだったのかとやっぱり思う。
 私の拙い言葉を何らかの力にしようとする、いろいろな人の真剣さに触れて、それが自分の考えていることとおおむね方向が間違っていなければ、やはりお役に立ちたくなる。それは教育だって学外のことだって同じだ。得たものは目に見えるし、失ったものは目に見えないから、多分なにか失っているのだろうがよくわからない。

 いまのところの答えとしては、研究者として、最低限こうでなきゃという姿(そういう姿自体を理想として強く持ちすぎることがまずいよという話なので、ほどほどにしなければならないけれど)を保ちたい。その一方で、新しく出会うことができた目の前の人々を大切にしたいと思う。
 いま、こうしてラントマンで、日本から来たふたりの先生とご飯を食べている。ネットに転がっているインタビューを読んでくださって、二冊の本を買って読んで、私の講座に来てくれたT氏と、院生のころから論文を読んでいただき、本の書評を書いてくださり、いつもお引き立てくださる政治学の先生がいる。
 ほかにも、こういう仕事をしなければ出会えなかった他領域の研究者の方々や、運動家の方々や、編集者や記者の方々がいる。外から見える私の姿が変わってしまっても、ずっと一緒にいてくださる先輩や後輩、先生方や友人、家族がいる。そういう人たちのことが好きで、大切にしたい。役に立ちたいし、力になりたいと思う。卑近なことにしか頭がまわらない平凡な人間の願いでしかないが、とりあえず私が強く願っていて、こうしたいと思うのは、だいたいそういうことなのかもしれないと、なんとなく考える。
 写真は、パーティーで先生から教えてもらったアペロールスプリッツ。カフェで色んな人が飲んでいたので気になっていた。


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