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【能登半島地震】罹災証明が出たら一区切り?とんでもない

支援業務と自分の生活再建のため書く時間が取れなくなっています。このためしばらくの間、@Nahomamamuu さんに校正や編集をお手伝いいただいています。ありがとう。

地震から2ヶ月近く経ってようやく罹災証明が出ました。罹災証明が出るまで何もできないと言う声をSNSでよく聞きますが、そんな事はありません。被災者は意外と忙しいんですよ。 今日はその辺のことを書いてみようと思います。


何もしなければお金が流れ出てゆく被災者

発災後、倒壊こそしなかったものの、住める状態ではなくなった輪島の我が家。
建物が傾き、梁が折れて、ガラスは外れ、天井が崩れ落ち、屋根瓦が落ち、屋根も抜けて家の中に雪が積もり、屋根の雪が溶ければ雨がしたたり落ちる状態になりました。

梁が折れて、なし崩し的に天井と柱が落ちてきたリビング(発災直後)

避難所から何かを取りに戻るたびに変わり果てた景色に呆然とするのですが、このあとどうするかも考えなくてはいけません。このままでは雨漏りで家財が濡れてどんどんダメに成ってゆきますし、放っておいても電気などの基本料金はかかります。(救済はあるだろうとは思っていたけど、ない場合も想定しないといけません)

避難所から金沢の実家に二次避難する際に、まず、水道と電気のブレーカーを落としました。
当然ながらお金を払うのはもったいないので北陸電力と楽天ひかりに契約終了の申し込みをします。
まだ早い時期だったので、電力会社も楽天もWebサイトに震災被害の手続き等の案内は出ていません。 内部もてんやわんやで電話もつながらず、結構苦労しました。

結果的には、どちらも救済措置で、1月分以降の料金に関しては費用がかからず、解約も無償で行うことができました。

荷物を出しても保管する場所がない

次の問題は、盛大に雨漏りしている家の荷物です。

一人暮らしとはいえども一軒家、しかも趣味がDIYで、副業がカメラマンと林業とくれば、荷物の数も結構な量になります。
とりあえず、雨に1番弱い撮影機器と電気工具の一部、そして震災でもつぶれなかったPCとファイルサーバー、当面着る服を持ち出しました。
その数日後、もう一度輪島へ行って、今度は林業の道具の一部と軽トラを実家に持ってきました。

その時点ですでにいくつかの電気工具や家電が雨漏りで濡れて使えなくなってしまっていました。
しかし、金沢の実家は私の部屋など大昔になくなっていて、ガレージは物置と化しており、結構ものが詰まっている状態です。このままでは輪島から荷物を出しても入れるところがないので、早めに保管場所を確保しないといけません。

とは言ってもそんなに早く引っ越し先が見つかるわけもなく、2週間くらいの間はハイエースと軽トラに荷物をパンパンに乗せたまま行動していました。

窓が割れて枠が外れて雨ざらしの部屋に養生シートで養生。屋根が無事な部屋は貴重な保管場所なのでなんとか死守

そして混乱の中、書類と手続きが次々と降ってくる

仮設住宅に関しては申し込みすら始まっておらず、いつになるか分かりません。

なので、既存の賃貸住宅やアパートを仮設住宅とみなす「みなし仮設」について問い合わせました。
本来は罹災証明が出て、その後の手続きになりますが、そんなことを言っているといつになっても住む家がない状態になります。
今回は、当面は家賃を立て替えて自分で支払い、後日遡ってみなし仮設認定ができると言うことだったので、その制度を利用してアパートを確保しました。

みなし仮設の条件として新耐震基準以上の適用が求められるのですが、そんな賃貸住宅は石川県内にほとんどありません。

また、私の荷物はアパート1室に入れられる量ではないのですが、家族を連れて避難されてる方も多いため、私が大きめの住宅を確保してしまうのも気がひけます。 なので、ちょっとだけ大きめの志賀町のアパートにしました。

アパートが決まったら、次は入居の手続きです。アパート自体の手続きは良い不動産屋さんに巡り会えたので短い時間で済みましたが、他にも電力の契約手続き、ガスの開栓、それぞれの料金の支払い方法の確定等いろんな手続きが待っています。
しかも、ややこしいことに前の契約の解約手続きのメールや郵便物が届くのと同時に、新しい契約手続きのメールと郵便物が届くので、引っ越ししたばかりでろくに収納もない家の玄関はよくわからない書類の山になりました。

被災者の引っ越しは通常の5倍増しの労力

その次は引っ越しです。最初は2、3日で終わらせようと思っていたのですが、とんでもない。

まずはハイエースと軽トラに積んである荷物を運び入れますが、瓦礫の粉塵などを被っているため、全部掃除してからの搬入になります。

ハイエースの荷物を降ろしたところ。ダンボールもないのでビニールなどその辺にあるもので養生したりそのまま運んだり、形がバラバラなので量が運べません

その次は弟に手伝ってもらって、大型家電の搬入をします。 これがめっちゃ大変です。瓦礫を掻き分けて発掘して積むのに1時間、 電気がないので、動くかどうかもわからず、掃除もできないまま、ボコボコの道を往復4時間近くかけて少しずつアパートに運び入れます。

アパートの駐車場でブロアを使ってほこりを払い、雑巾で拭き上げて、中に運んだら電源を入れて動作確認、これを延々と繰り返します。

瓦礫から拾い出して運んだ洗濯機。掃除して電源入れるまで動くかめっちゃ心配だったけど動きました!

2週間ぐらいかけて少しずつ、アパートに入る分だけ何度も往復して荷物を運び入れました。

ベッドだけで一往復、しかもマットはすでに湿気ておりめっちゃ重い!

普通の引っ越しと違い、段取りも組めませんし、荷物はパッキングされていません。 取り出せるものと取り出せないものがあり、 生活用品は歯抜けで揃ってしまっているので、毎日のようにダイソーに通い、生活に必要なものを順番に揃えて行きます。
一気に揃えたいところですが、先行きのお金の不安は大きいので、できるだけ必要なものだけちょっとずつ揃えていきました。

ちなみに、ダイソーには、私と同じような被災者らしき人がカゴをいっぱいにしてうろうろしている光景が目立ちました。
被災者にとってダイソーは神ですよ。

輪島の家のほうは、雨漏りをしていない部屋が1つしか残っていないと言う状況になってしまい、 当面使わないものや、 架台、スコップ等大きなものや主に外で使うものを置いてあるだけの状態にしています。

大きな余震があれば、家は倒壊する危険もあり、雨漏りの範囲もまだ拡大する可能性があるので、できるだけ早く出したいとは思っています。
しかしアパートに全部のものを収納するスペースがそもそもなく、現状ではこれで手一杯です。

雪と余震で家の崩壊は着々と進んでゆきます。行くたびに崩れてゆく箇所が増えます

応急判定で「入るな」と言われても…

引っ越しの途中で応急判定の検査員が来て赤札(危険)を貼ってゆきました。

はい、危険なのは知ってます、でもどうしろと…


本来赤札が貼ってあると中には立入禁止です。
しかし、そんなこと言ってられないので、通り道の戸を全部開けて、ヘルメットかぶって揺れたらすぐ外へ出られる体制で、中に入って荷物を取り出していました。

震災ボランティアのみなさんは、危険判定が出ている建物の中では作業ができません。
したがって、私のように半分傾いている家に住んでいる人たちは、公式のボランティアセンターに依頼をしても手伝ってもらえないのです。

とは言え、うちの集落では 9割位が危険と判定されています。これではボランティアセンターはほとんど機能することがありません。 末尾に書いてある仲間の民間ボランティアがそういうところも含め活動していますが、公式に比べれば予算もないし人も足りません。ぜひ皆様のご支援をお願いします。

そして運命の罹災証明

本来、罹災証明は、被災した人たちが自分で申請し、申請に従って自治体が調査に入るのですが、輪島市の場合はほとんど全部の建物が何らかの被害を受けているため、早々と全件調査になりました。
これに関しては、合理的で良い判断だと思います。

中心部から徐々に調査していき、調査が終わったところから罹災証明が発行されます。
書類の発行には一応申請は必要ですが、LINEからでもできたりするので、申請自体はすぐ終わりました。


輪島市から判定の終わった住所の通知がLINEで来ます


地震から2ヶ月経って、ようやく家のある集落も罹災証明の発行ができるようになりました。
郵送で送ってもらうこともできたのですが、みなし仮設の手続きや支援の内容なども聞きたかったので市役所へ行きました。

名前を言うと申請が終わっているかどうか聞かれます。 電子申請しましたと言うと、係員の方が私の名前が書いてある申請書をプリントアウトして持ってきました。


電子申請ってプリントアウトサービスだったんですね。

そして2時間ちかく待った後、係員のところに案内されました。 係員の方は、調査の内容が入力されたタブレットと、住基システムにつながっている(らしい)パソコンと、罹災証明のシステムが入っているパソコンと3つの端末を見比べながら慎重に発行してくれました。 結果はこの通り。

ちなみに赤紙だったから全壊ということはないです。応急判定とは全く別です

あれで半壊と言われたら再調査をお願いしなきゃいけないので、この判定でほっとしたのは事実です。ただ体の力も同時に抜けていきました。

その後、被災者相談の部屋に通されます。
そこでは被災者生活再建支援金と災害見舞金の制度を超簡単に説明され、 その場で免許証のコピーとそれぞれの申請書の記入をしていきます。

私の場合は、単身世帯(妻の住民票は千葉)の住宅全壊ということで80万円分の支給を受けられます。 今後自宅を再建する場合は、これに加えて加算金150万円を受けることができるようです。 そして、みなし仮設の手続きの書類をもらって帰ってきました。

このみなしの手続きがまた大変、書類は6枚くらい書かされるし、不動産屋さんと家主のハンコに見積書なども必要。時間がなくてまだ手続きできてません。

頼むからDXしてくれ!

電子申請ができるものは本当にほんのちょっとです。電子申請と言いながら単なるプリントアウトサービスだった罹災証明の申請を始め、マイナンバーカードなんて一度も使っていません。本来ならカードかざしたら全部の手続きが終わって証明書出てくるってのが電子政府の理想だと思うんですが、そんなものははるか彼方にありそうです。

ワンストップサービスの実現ってどの役所の将来計画にも書かれているんですが、その実現には必ずDX化が必要なんですが、なんで全然進まないんでしょうね…。

高齢者の中には、電子申請はできないからやめて欲しいと言う方もいらっしゃいますが、正直これらを全部紙でやっていると、役所の職員が何人いても足りません。

そんなわけで、被災者は意外に忙しいんです。 もちろん、被災したからといって給料が天から降ってくるわけじゃないので、本業もちゃんと働かなければいけません。
このほか、今年度事業としてやっていた副業の林業の報告書等があり、現在はデスクワークで死んでます。確定申告も今からです。

罹災証明で一区切りついた気分になったのは事実ですが、さりとて公費解体はいつになるか全くわからないし、みなし仮設は2年だから新しい棲家の建設や購入が間に合わなかったらもう一度賃貸への引っ越しの可能性も出てきます。

山仕事したいから能登へ行ったわけなので、持ち山もあるので違う場所へ再移住もする気も今のところはないですし、山仕事するには一軒家のスペースは必須です。
お金もスケジュールもまだまだやることばっかりです。

面倒を見るべき子供がいない私でも結構忙しいのに、子供がいる人達はホント大変。支援者のみなさま、子供の支援が多いのは大変に喜ばしのですが、子供を持つ親世代の支援もしてあげていただけるとうれしいです。

そんな被災者のお手伝いをしたいと思われたあなたへ

公式のボランティアの受入も始まりましたが、まだバスでの往復で人数もかなり限られます。現状奥能登はすごい渋滞で乗用車で勝手に来られても困るのは事実です。
とはいえ、障害物で入ることもできない家、雨で濡れてゆく家財、動けない身体に忍び寄るエコノミークラス症候群と被災者の支援も急を要しています。
自伐林業仲間である福井の団体が私の町を拠点に震災ボランティアとして活動してくれています。泊まるところ(寝袋ですが)もありますのでぜひご応募ください。
現場はとても厳しいので条件は多いです。よく読んで応募くださいね。

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今は寄付ページへの寄付をお願いしていますが、こちらも気に留めていただきありがとうございます。 この先どうなるかわかりませんが、サポートいただけましたら、被災地支援活動がおちついたら自分自身の生活再建に使わせていただきます。