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会社組織への依存はほどほどに

会社というのは、考えてみるとふしぎなものだ。朝起きて、ひげを剃り、服を着替えて、会社へと向かう。そのなかでは、上位や下位が決まり、その組織特有の価値観がある。その組織特有の価値観は、ただその会社という「場」でしかちゃんと機能しない。それなのにも関わらず、自分のすべてのリソースをそこに全賭けしてしまうのだ。

会社を自分でつくる。〇〇に運命をかける。こういうスタートアップ経営者がする全賭けならまだいい。なぜなら会社はそのひとにとっての創造であって、あらゆる試みが自分という存在(あるいは自分が信じるもの)を、世界に紹介する存在になれる。

しかしながら、いち機能として雇われた人間なら、仕事に全賭けするのは危険だ。なぜなら自分の評価=会社での評価、になってしまうからだ。この図を見てほしい。

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この重なりの部分。これが大きくなると、じつは実生活――いや、会社での挙動もすこし変になってくる。具体的にどうなるかというと、常に不安に苛まれるようになる。不安に苛まれているひとは、ひとが話しているところによく割って入るようになる。

例えば僕とMさんが話していると、「これあかんな」とディスプレイを見ながらいきなり言う。僕とMさんがいま話しているのだが、このひとにはそれは関係ない。こういう奇妙な傾向がでてくるのは、不安であるがゆえだ。

僕は人生で何人かの仕事依存状態のひとを見てきた。彼らに言えるのは、仕事をしてもしても不安が消えない、ということだ。彼らは土日も会社にでる。なぜなら家にいても不安だから。そして会社に行くのだが、行っても不安である。ゆえに僕とMさんの会話に入り込まない訳にはいかない。落ち着きがない。そわそわしている。無用な指摘をしてしまう。精彩がなくなる。

なぜか?

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この図で重なっている部分が大きすぎるからだ。自分の評価=会社での評価。ゆえに会社ではつねに、一分一秒影響力を出さないといけない。焦る。焦るから変な指摘をする。それを取り返そうとする。さらに焦る。この悪循環のうちに取り込まれ、ついには朝も晩もイライラして、「ああっ!」と何も起こってないのに言いだしたりする。危険だ。仕事依存は、このぐらい深刻な状態に至る。

ホリック(中毒)という言葉は、仕事のしすぎ以上の響きを持っている。僕自身実際に目にしてきて思うが、仕事を自分の体内に注射しつづけると、地獄のような精神状態が待っている。嫌われまいと振舞う一方で、相手に嫌われることも言うようになる。恋愛が壊滅的にヘタなひとみたいに、精神的な落ち着きがないのだ。

さらにまずいのは、このてのひとの職位はほどほどに高いという点だ。大学を出て5年くらいまでの子は、このひとの影響をもろに受ける。27歳、28歳。まだ彼らは働き方を学んでいる途中で、このホリックのひとの考え方を教え込まれる。僕は「あ、まずいかもなあ」と思うが、それでも「これこれこうであそこであそことここがくっついている。ほらあそこがここで、ここがあれでさ。だから仕事はバランス取ってやらないとだめだよ」なんてことは言わない。こっちもやることはあるのだ。

この症状が難しいのは、相手がホリック――つまりクスリ漬けになっていることだ。向こうはイッてるので、仕事から引き離さないといけない。しかし仕事と麻薬のいちばんの違いは、仕事に行くことは経費が掛からないことだ。麻薬ならお金が尽きればどうにか止まるかもしれない。しかし仕事でホリックになると、もう止められない。相手は休日でも会社に行けてしまう。いつでも、どこでも、会社はいつでもオール・フリーだ。フリーWi-fi。スタバ。ドトール。居間。ラップトップで会社の共有フォルダにリモートで入れれば、オール・フリーである。

事態は深刻になりつつある。もちろん僕はまったく深刻ではない。すべての仕組み、こころの動き、不安、依存、すべてがまるっとわかるので、僕は大丈夫。ただ、この働き方を受け継ぐ下の子たちは大変だ。大変な未来が待っている。

" 他人を変えようなんて無理にきまってる。”

こんなありふれた台詞を、ずいぶん昔にS・フィッツジェラルドの『夜はやさし』のなかで読んだ。正直に言うと、ひとはみな、なにかのホリックになりやすい。ジャニーズとか、クラブとか、ネットフリックスとか、恋愛、仕事、スポーツ観戦――まあなんらかのホリックになる。

それは重度である場合もあるが、軽度である場合もある。いずれにしても、みんな何かのホリック気味ではあるので、僕は自分から相手に影響を与えようという気にはなれない。実際若いころはよく他人を変えようとした。どうなったか? ボン!(両手を頭のわきで大きく開く著者)。

そう。人間は何事もあきらめが肝心だ。こう言って余裕ぶっている自分だって、いつホリックになるかはわからない。相手への依存。そうなると相手を自分の思い通りに動かそうと、血眼になっているかもしれない。結局忠告をする言葉は噤むようになる。

今日もほぼ定時で退社。僕はホリックの魔の手から、電車に飛び乗って逃げたところだ。

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