メッカ(مكة )としてのディズニーランド

ミッキーマウスについてみなさんがどのくらいのことをご存じかはわかりません。ただ。私は今日に至るまでミッキーをまったくまちがって認識していました。なぜ彼があそこまで人気なのか。それはただ単純にあの口角の上がった顔が可愛いからだろうなどというひどく浅い考えを持っていたのです。

しかしミッキー信者のあるひととの会話をしたお陰で、私はミッキーがどのようにファンから慕われ、崇拝されているかを理解するに至りました。

もちろんこれは私がミッキー教徒の布教の話を聞いて、「なるほどなるほど」とひとりの研究者として感じたことでありますので、ミッキー教徒の皆々さまとは認識の齟齬があるかもしれません。

しかしながら。私のような文章を書いて発信をするのが大好きな人間と致しましては、この俗世が持っているミッキーマウスさん(もはやさん付け)への軽めの印象を少しでも和らげるべく、この文章のなかで私がスター(ミッキーマウスさんのこと)について理解したことを書き記したいと存じます。

至らぬ点もあるかと思いますが、スターについて言及させていただきます。どうぞお手柔らかにお願い申し上げます。


著者は深々と頭をさげ、ステージ下手へとはける。


まずですが、ここにひとつの逸話があります。それはディズニーシーでミッキーが海に落ちたときのエピソードです。あの重たいあのあれを付けているミッキーさん。そんな状態で海に落ちるのは、いわば死へと近づく行為です。しかしこの姿をみていた私の知り合いが言うには、

それでもミッキーはミッキーのままだった。彼はなにも脱がなかったよ

というのです。

このひとつの死という髑髏に黒マントの貴奴が来ても、ミッキーは衣装をはずさない。いやミッキーはミッキーであって衣装も何もないのですが(*このへんは言及が難しいところです)兎に角、ミッキーは海に落ちてもミッキーですし、ミッキーは死と対峙してもミッキーのままなのです。

社会人のみなさん。私がなにを言わんとしているかおわかりですか? ミッキーはそのミッキーとして行う社会への奉仕の中に生きているわけでして、それがもしたとえ手を振ったりしてコミカルに動いている間に足がつるっとして海に落ちても、その奉仕を一方的に投げ出したりはしない存在だということです。

みなさんはもし仕事で死に近接したらどうしますか? 私はたぶんさっと言い訳をして、「逃げるは恥だが」とかなんとか言って、スタコラ逃げるでしょう。

しかしミッキーは逃げない。そしてミッキーを崇拝する人々はそのことを知っているのであります。

そうなのです。彼らはミッキーが決してミッキーであることをやめないことを心の中で確信しながらこの世界を生きているのです。

ここまで語ってきて、マス層にもミッキーがいったいどのような存在なのか、少しわかってきたのではないでしょうか。




では、つぎに進みましょう。

キャストとして働いていたこともある私の知り合い。ある日彼が超ダウナーな気分で裏にいたところ、そこにミッキーがやってきたといいます。するとミッキーは気分が沈んでいる彼を身振り手振りで励まし(彼はキャストなんですよ?!)そしてハグまでしてくれたといいます。

このエピソードからわかる通り。ミッキーはわれわれが考えているよりも人格者であります。表層的なことしかみない、「女子高生が好んで行くところ」、位にしかおもっていないわれわれ。

果たしてこれまでの人生でミッキーが裏でも圧倒的に他者に敬意を持って誰に対しても平等にふるまうスターであるなどと、考えたことがあったでしょうか。ないのです。われわれはCMで口角を上げて手をぴょーんと上げているミッキーをみて、「ふう~ん」なんて言っているだけなのです。

しかし。実際は誰よりもすばらしい精神性を持っているがゆえに、ミッキーはあの大陸で頂点の位置に立っている存在なのであります。

つまり。あの場所は紛れもなく国であり、日本を天皇陛下がその柔らかな瞳で見つめているように、あの国もミッキーが柔和な瞳で治める独立国家なのであります。そして日本からディズニーに「入国」した人間は、いっとき彼の慈悲に触れることができ、俗世間を忘れることができるのです。

ここまでの説明で、わかるひとはわかることでしょう。ディズニーはただの遊園地ではなかったのです。

それはたいして世界にコミットしていないひとにとっては、耳をつけてただ写真を「イェーイ」と撮って、ミッキーが作ったとされる料理を食べて、またピースを頬につけて「ヒェーイ」とやる場所に過ぎません。そしてそれはちっとも悪いことなんかではないのですが、しかしもう片面にはディズニーをひとつの宗教国としてみる層がいるのです。

彼らはミッキーに酔いしれているのです。その人徳。その一貫性。その比類なき魅力に。

彼らにとってディズニーランドはメッカ(مكة )であり、愉しむ場所というよりも巡礼に行く場なのです。

ゆえに彼らは年間パスを作り、毎週のように全国津々浦々からバスや飛行機や電車に乗ってメッカへ集うのであります。

みなさん。なぜディズニーへの直行便があなたの地元から出ているのか、一度でも疑問に思ったことはありますか。それは女子高生が――

ちがーう!(>_<)


失礼。違います。その路線は巡礼者によって自然と切り開かれたメッカへの航路なのであります彼らはミッキーというスターに出会うため、その道を努力によって交通会社に認めさせざるを得なくしてきた闘いがこの35年のあいだに起こったのであります。そうなのです。宗教とはそういうものなのです。

イチロー氏。羽生善治氏。この夢の対談が「ボクらの時代」で実現したとき、最後のひとりは誰でしょうね。このふたりと同じように365日自分自身と向き合い、そのホスピタリティをだしつづけるという偉業を継続する存在は、いったい誰なんでしょう。

答えはもちろん。あの気さくな笑顔と身振りの、彼に違いありません。


ミッキーマウス!


ここまで読んでいただけたみなさんには、たぶんミッキーが少しわかってきているだろうと思います。ミッキーを「かぶり物」などというひと。あなたは根本的なまちがいをしています

イチロー選手に「木の棒を振っているひと」そう言っているようなもんです。ミッキーはミッキーであるという打席に立って、完全にその仕事を行う超常現象的マスコットキャラなのです。

この世界にあまたいるマスコット。そのマスコットたちにとっての頂点。まさに至宝。光り輝く世界の幸福の送り主。それがミッキーマウスさんなのです。

というわけで。われわれはミッキーに今度ディズニーで会ったときには、それなりに敬虔な気持ちにならなければなりません。手を胸のまえで組み、一礼するぐらいのことはしなければならない。

なんなら一緒に写真を撮るときにも、「もうしわけありません。わたくしめと写真を一枚撮らせていただけませんでしょうか」このぐらい下から行かねば、彼の荘厳さのまえでは無礼に当たるのかも知れません(いや。彼はそんなことは望んでいないですかね)。

では。最後はこの曲でお別れしましょう。


映画監督のキューブリックもミッキー信者なんですかね。



3/9 追記


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野宮 直喜

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評論系の記事。(2018年/10月〜2019年/4月)
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