クモの糸理論

大学生のころの話だが、非常に人間関係のバランスがわるかった。簡単に言うとひとりの女性に入れ込み過ぎてしまって、ほかの人との関係がほぼ消滅してしまった。そしてそんな状態になってつくづく思ったのが、人間関係は複数持ってないとまずい。

自分がクモの巣の中心にいると思って、あっちにも糸を伸ばし、こっちにも糸を伸ばし。まあそんなふうにしておかないと、バランスがよくない。人間は案外簡単にバランスを崩す。すこし眠っていないだけでイライラするし、だれかに手ひどい言葉を言われただけで、ズシンと来てしまうこともある。

だから人間は日々クモみたいに自分の巣の状態を気にかけているべきなのかもしれない。あっちに糸を伸ばし、こっちにも糸を伸ばし、みたいな感じで。

バランスを取るというのは、非常に大事なことだと思う。ひどく一般論だが、バランス感覚ほど大切なものはない。

たまに親とか兄弟と縁を切るひとがいるが、あれはハッキリしているようでいて、バランスはわるい。親に傷つけられて、どうしようもない場合は糸を切った方がいいかもしれないが、そこまで深刻でない場合はかなり危なっかしい行動だ。

大事なのは自分というのがクモの巣のうえに乗っているだけの、自然から見ると弱々しい存在で、だから複数の糸によってなんとか加重に耐えられていると謙虚に認識すべきということだろう。

そして当然の話だが、糸の向こうで引っ張っているひとは、みな完璧な人間ではない。自分も完璧ではないし、伸ばしているさきの糸を引っ張ってくれているひとも完璧ではない。この世に完璧な人間などいた例しがないのだ。

あるときはまちがったことを言い、あるときはまちがった行為をする。人生のどこかで誰かを決定的に傷つけてしまうこともあるし、その変わりべつの人に決定的に傷つけられてしまうこともある。世界はバランスがよく取れている。もし誰かを傷つけたら、そのぶん別方向からグサリと刺されてしまうのだ。

自分でもいまだにそうだが、他人のミスは目に付きやすく、自分のミスには気づきにくい。自分では客観的なつもりでいても、人間はみんな自分自身の味方だ。強く訴えれば訴えるほどに客観性は失われ、残るのは自分を守ろうという意図だけだ。

しかしまあ、そんなような不安定な状態で、どうにかこうにか日々を過ごしていかないといけない。自分に完璧をもとめないように、他人にも完璧を求めるべきではない。なぜなら完全に傷のないスケートリンクが存在しないように、完璧な人間同士の関係などこの世界に存在しないのだから。

不完全さが寄り合って生きているだけなのだ――というようなことを、自分を慰めるために書いている。ふーむ。やっぱり寛容さがないと、人生は難しいものになっていくんですかね。

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うれC
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野宮 直喜

Φラヂオ

日々考えていること。 2018.12 〜 2019.7
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