好きこそすべて

ども。朝から病院でステロイドが入った点滴を打ってきたせいでテンションが高くなっています。僕です。

いやあ落合陽一さんのnote見ました? やばいっすね。ちょっと泣きました。でもまあその話はここでは脇に置いておいて、今日はこの落合さんのあの感じについて言語化してみたいと思います。

あの感じって何? そう仰られる方もいるでしょう。あの感じというのは、妙に興奮していて早口でポジティブで調査兵団みたいで(BuzzFeedの福原氏の表現)突っ走っているあの感じです。

今回彼の生い立ちnoteをみていてわかりました。これね。あれです。好きなことを好きなときに好きなだけやってたら、自分でももうブレーキとかなくなっちゃって、ついには光りの速さに到達してしまいしつつあるんですね。アインシュタインとかもなんかベロをぴょ~んとだして、学校教育と関係ないところですっ飛ばしていたみたいですが、落合さんはアカデミアとも関係しながらもうぎゅんぎゅんにアクセルを踏んで直角コーナーを壁走りするみたいな状況に辿り着いて身体全身炎症オーライモードなんですね。

だから好きとか、好奇心とか、やりたいことやるってのはこれぐらいすごいことで(まあ勿論個体の能力差はあるとおもいますけど)好きなことだけやっているとひとは宇宙にインパクト起こせる個体になってくるんですねえ。マジでやばいっす(いい意味で)。

それでまあ話はオチャイ(親しげに呼んでみる)のことから離れて僕のちょっとした知り合いの話になるんですが。このひとはつねに自分の利益のこととか、得られる金のこととか、キャリアとか考えていて、まあ結局そのどれもが全然へぼいわけなんですけど。こういうひとにはほんと言いたくなりますよね。

「あのね。好きなことやればよくない? 好きなことやって最初は30キロ走行してさ。そんで調子が上がってきたら周囲が認めてくれるから50キロになってさ、80キロになって、110キロになってさ。そういう風になるためにとにかく好きなことやればいいんじゃない?」

て。

でもまあ、勿論言わないですけどね。言ったところでべつにひとってのは変わらないんでね。ひとってのは自分で自分の置かれている状況を変えようと思わなければ、外からあーだこーだ言われても何も変えないものだから。

それで、あーこいつほんとダメな奴だな。好きなことやらないなんて、短期的にみても長期的にみても何的に見ても自殺じゃん。と思うんだけど、なぜかひとってのはぼけえっとこういう所に入って「何が好きかわからない」なんて言うんだよね。いやこれじつによく聞く話だけど、何が好きかわからないって一体どこから流れてきた思想なんだろうね。何が好きかわからないなんて絶対にあり得ないじゃん

だって部屋に物とか置いてあるんだったら、それってお店で選んで買ってきたわけで、選んで買ってきたんだったら好きだから買ったんだよね。じゃああなたのその部屋にあるものとか、着てるものとか、時間を使ってみるものとか好きなんじゃん。じゃあもう何が好きか大体のところわかっちゃってるじゃん。

しかしこの何が好きか分からない症候群のひとにこんなことを両手を振り乱して言ってもどうにもならない。「いや、何が好きか分からないんだ」なんてぼそぼそ話しはじめる始末。

ここへ着て僕は気づくよね。いや、このひとは何が好きか分からないとかそんなレベルに全然これっぽっちも達していなくて、まず第一に自分のことが嫌いなんだろうなって。自分のことが嫌いだから自分が見ているコンテンツも嫌いだし、自分がしている自己発信も嫌いだし、自分が所属しているコミュニティも嫌いだし、自分が履いているユニクロの靴下も嫌いなんだ。だからこのひとは嫌いを集める権威みたいな、ゴミ掃除機みたいな感じになってんだろうなって・・・。

だからこういう人間に好きなことをやればとかいってもそんなのは全く無意味なんだ。やらなければならないのは少しでも自分を好きになるようなことであって、その自分を好きになるようなことをし続けて何年もしたあとで初めて自分の好きなものをさがすしかないのだろう。そして僕はそんな長い道のりを人間全体が一人残らず歩けるなんてまるで思えないし、だから多くのひとは自分のことが嫌いなまま子供を作って家庭を作ってだらだらだらだらとこの地を生きていくんだろうなあ。

まあ可愛そうと言えば可愛そうだが、自然と言えば自然なのかもしれない。大体そんなすべての人間が自分の好きなことがわかる世界なんてあるわけがないよ。好きなことが持てるやつは自分で自分のことが好きになれたやつなんだ

残酷な話だね。
自分で自分を嫌いなやつは何も好きになれないんだ。



とまあステロイド点滴ハイになっている僕はここまでのことをわわわと書いてきたわけだが、読み返してみるとまったく完全じゃないなとおもう。とくに "自分で自分を嫌いなやつは何も好きになれない"、のあたりが。

僕も自分で自分を苦手にしていたことはあるから、この感覚のことはかなり詳しいのだが、やっぱり自分が嫌いでもそれなりに好きなことはあったような気がするな。例えばそれは女性の形をしていた。そして思い返して見ると、僕はいまその女性と会ってもいっさい何も惹かれないと思うし、うぇって感じで離れるとおもう。つまり何が言いたいかというとですね、僕は自分を嫌っているとき、同じように自分で自分を嫌っている女性を好きになりがちだったように思える。

つまり好きにもなんかレイヤーがあって、より低次元な好きもあれば、高次元の好きもあると、なんかそんな階層構造みたいなものがない気がしないでもないので、自分自身を嫌って言っているひとにも好きなものはあるはずだ。

そしてその低次元な好きなものを使ってかなんなのか知らんけども、とにかくその低次元な好きなものとの関係であれこれ努力すればより自分を好きになって高い次元の、ようは「よりいい愛」みたいなものに接続されてゆくような気がする。

だから自分で自分を嫌いなやつは何も好きになれない、というのは間違いではない。自分が「好き」だと思っていたものが、自分が変容して成熟したときには「あれほんとの好きではなかったな」と思うわけだから。

まあともかく人間は「これやろう」って努力を必要とするものにコツコツ取りくんでゆくことによってしか自分をより高い次元に送ることはできないし、コツコツでもやっていれば年月の経過とともに好きの速度が上がってゆく。

落合さんみたいに光の速度に到達するのは難しいかもしれないが、それでも速度が速くなった世界で他者とか自然とかデジタルネイチャーとか(よくわかってませんが)を愛するのは愉しいものだと思う。

うむ。そう。
愉しいのが結局はいちばん正しい。

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野宮 直喜

Φラヂオ

日々考えていること。 2018.12 〜 2019.7
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