見出し画像

崎山蒼志 初ホールワンマン とおとうみの国 ライブレポート

チケットを買ったとき、もう伝説のライブになるとは思っていた。崎山蒼志発ワンマン。行われた地は、浜松市の浜北文化センターだ。

浜北駅はPASMOなどは使えず、遠州鉄道専用の磁気カードしか使えない。多くのひとが久しぶりに切符を買う体験をする。そんな沿線に25分ほど乗ると浜北駅はある。

降りてみると、とくにこれといった物はない。来るときの車窓で見た二階建ての一戸建ての大群。それが浜北駅周辺には続いている。アスファルト、空、二世帯住宅。そんなどこにでもある街の中に、浜北文化センターは存在している。

僕が着いた時には、すでに多くのひとが建物の中にいた。物販の列は長くのび、何かに応募して当たった旨を知らせる小さな鐘を鳴らす音がする。僕はチケットの番号を確認する。21列の22番。真ん中より少し左後ろ。勝手な感想だが、なかなかいい位置だ。

物販のTシャツを着るひとの気持ちは昔からよくわからない。ただ僕の席からちらほらと、白と黒の崎山くんデザイン(かはわからない)Tシャツを着ている面々が見える。今回は椅子付きのライブ。

しかしそれでも、彼らは首にタオルを巻き(もちろん崎山くんタオル)、忙しなくペットボトルからの水を飲む。そわそわとし、まるで母親を待つ幼稚園児みたいに落ち着きがない。どうやら僕は、かなりライトなファンに含まれるようだ。

開演までの時間には音楽が流れる。スーパーオーガニズム、ビリー・アイリッシュ。僕も好きな音楽を、初ワンマンまえの崎山くんは"まずまずの音量で"流している。僕はすこし微笑む。たぶん何人かは同じように思っていただろう。

次第に浜北文化センター大ホールの席は埋まってくる。年齢層は案外高く、40代、50代の子連れもいれば、名古屋か東京から来たらしい20代、30代のひとり組も多い。僕も2時間かけてひとりで来た。ゴールデンウィークの最終日に、ひとりで2時間以上かけて来させる何かが、このライブにはあった。

浜北文化センター大ホールは次第に暗くなる。僕は通路脇だったのだが、左側の席にひとは来ない。後ろもなぜかいない。そんなわけで、僕が崎山くんのライブに没入する環境は自然とできあがったわけだ。


開演。崎山くんにスポットライトが当たると、大きな歓声がホールに満ちる。その歓声はとても柔らかい。真綿のように柔らかな声が、彼を待ち受けている。僕はライトなファンらしく、ぱちぱちと拍手するだけだ。すごい人気あるな、そんな風に思って、曲が始まってもどこか集中できない。

マイクの声が大きすぎる気がし、歌詞が聞き取れない。よくあることで、まだ自分が崎山くんに対して疑心暗鬼なのだ。ただのライトファンと、崎山くんをよく知るヘビーなファンの違いは、こんなところにでる。

足早に数曲が終わる。ようやく僕の体も温まってくる。いや崎山くんが温まってきたのかもしれない。彼の独特の声と、ギターをかき鳴らす音。この2つだけで構成される、シンプルなライブが淡々と進んでゆく。

最初のMCに入ったとき、僕はようやく悟る。話す崎山くんと、それを当然のいつもの崎山くんとして受け入れる地元のファン。彼のつっかえがちで、なぜかカタコトみたいな話し方に、会場は魅了される。音楽が鳴っているときとのギャップ。この緊張と弛緩のあまりの違いに、僕自身深く魅了されてしまう。

わかってはいたことだけれど、ほんとに飾り気がない。嘘がない。彼はただ音楽を体から出したいだけ、そして素早くチケットを買ってまえの方にいるひとたちは、そんな彼の歌を浴びたいだけなのだ。

このようにして、第一部は何度かのMCを挟みながら進む。崎山くん曰く、ここは合唱コンクールで来た場所らしい。

「最初のワンマンはここで。」

まだ若かった(いまもまだ若いけど)彼は、中学生のときにホールから去り際に、ステージの方を見ながら言ったのかもしれない。

そんな彼の個人的な決め事に、僕らは僕らの意思で付き合っているわけだ。

かなり音楽にノリ始めた頃、最初の四十五分が終わった。崎山くんが言っていたように、この第一部は彼が弾き語りをしていたときに、よく弾いていた曲を並べていたらしい。YouTubeに音源があるようだが、僕はそこまで過去の音源を聴いてない。どおりでわからない曲が多いわけだ。

彼はこの浜北文化センターを、何かのマイルストーンにしていたと僕は思う。崎山くんというポッと出ではなく、ずっとこの浜松の地でひたすら歌い続けてきたひとりの人間にとっての、なんらかの句読点だ。

だからこそそれは、浜北文化センターでなくてはならなかった。やる曲は弾き語りの、横をプラレールが走ってる立地でやっていた曲たち。僕は彼の人生史の上に立ってる。そんな風に言うこともできるかもしれない。






崎山くんが言っていた通り、第二部は聴いたことのある曲で始まる。いまや観客は音楽の虜になり、全員が彼の方に集中している。

音源になっている曲たちがつづき、『五月雨』に接続される。YouTubeで見たいくつかの五月雨。あれらと同じようでいて、やはりどこか違う。いびつにひずんでいる声とギター。そのどちらもがワンワン頭の中で反響するのは、遠い昔のDynamite Outの頃の東京事変みたいだ。

彼のライブでの演奏は、迫り方が音源とは異なる。彼の『ソフト』という曲で、太陽に向かうイメージが出てくるが、ライブの崎山くんもなんらかの限界に向かう。より気持ちよく、より力強く、より素早く頂点を突こうとする。その有り得ない疾走感、究極の速度でコーナーリングしようとする様に、観客はどんどん見せられてゆく。

そして金色のつばさが開く。それは金色の照明にすぎないわけだが、彼がこの曲で世間にでたことを象徴する色だ。

こうして五月雨は終わる。会場には大きな声が次々に立ち上がり、拍手の海の中でイルカみたいに跳ねている。


崎山くんの音楽は、音源よりもナマの方が何倍も凄かった、という感想をYouTubeのコメント欄で見たことがある。そして今回行ってみて分かったが、そこにはマイクや録音装置の限界があると思う。

崎山くんの歌は、正直何を言ってるか聞き取れない。散文的な詩も関係しているが、それ以上に彼の声自体にディストーションがかかっているみたいに聞こえる。

それは澄んだ声と真逆で、ぎゃりぎゃりとした声。ヤスリを手で掴んだまま引き抜くみたいな声なのだ。それは「みんなと一緒に合わせて歌いましょう」というシーンでは、多分うまく機能しないだろう。椎名林檎がほかの女の子たちと声で調和できないのと同じだ。崎山くんの声は、特別な要素、微細すぎる何かを抱えている。

しかしいまSpotifyで彼の音源を聴くと、そこにはあのばちばちと爆ぜるあのアレがない。マイクか録音装置が、彼の声にある神秘を消してしまっている。だから歌詞もよく聞こえる。しかしそのぶん、詩と詩のあいだの、僕らを引き寄せる小さなビッグバンがない。

そしてこれはギターにも言える。彼のナマギターのキュインキュイン感はすごい。どこまでバラバラにカッティングできるか、彼のなぜ腱鞘炎にならないか不思議な右手は、時間の限界に迫ろうとしている。

追い立てられるように、できるだけ最短距離で走れるように、彼は足をときにピョンと後ろに曲げて、自分の速度感に満足いってないみたいに見える。

もはや曲順もなにも覚えてない。覚えているのは、ただ途中でいきなり歌詞の内容が、散文から口語に変わったことだけだ。これも聞いたことのある曲。YouTubeで。でもなんの曲だったか……

その曲は17歳とは思えない。

夜中の3時が朝になったとき
君はきっと仕事を休むだろう。
もう要らない もう要らないよ
キミのほかにはなんにも要らないよ。

もちろんこれは崎山くんの曲じゃない。クリープハイプの『手と手』だ。けれどこの時この曲を聞いていた僕には、これはただ単に崎山くんの実話に聞こえた。

ほんとうのことを言えば毎日は、
キミがいないと言うことのくりかえしで、
ほんとうのことを言えば毎日は、
キミがいるということ以外のすべて
大切なものをなくしたよ。
いまになって気づいたのが遅かった。
大切なものをなくしたよ。
いまになって気づいたのが遅かった。
なんてよくある話で(崎山くんの声は自嘲ぎみ)笑っちゃうよね。

いま思い出しても泣きそうになる。ここには確実に彼の実体験も含まれていて、そしてつまりは僕らの実体験も含まれていた。その歌い方のニュアンス。もうすべて分かってるからって、達観した言葉にならない言葉。それがクリープハイプよりゆっくりとしたテンポで歌われると、感傷的な気分になって泣けてくるわけだ。

この曲はYouTubeにある。しかしこの音源の500倍くらい生演奏はすごかった。崎山くんの心の独白を聞いているみたいだった。



疾走から真夜中の反省へ。僕はすっかり辺りのひとより、大きく熱烈な拍手を彼に向けてするようになっていた。






ライブではまだまだ見せ場はあった。新曲もあれば、音楽と照明の前衛芸術の末に、崎山くんがステージに寝そべってギターとご乱心のシーンもあった。アンコールも。最後の思い出の受賞曲も。すべてを言葉にすることもできるかもしれない。

しかし今日のところは、話はこのあたりで終えておくべきだと思う。なぜなら崎山くんにとって、あの初ワンマンは始まりにすぎないからだ。いや始まりであり、終わりでもある初ワンマンだったのかもしれない。

「なんだか、今日は早く感じました」

そんな風に彼は言っていた。ひとは極度に集中するとき、時間が早く流れるという。僕が体験したライブが素晴らしかったと思えたのは、たぶん僕だけの思い込みじゃない。

彼にとっての思い出の曲たち。彼にとっての思い出の土地。彼にとっての大切なお客さん。それは僕にですら分かったし、最後には自分もその一部になれている気がした。そしてその一部は、これからずっと増殖してゆく。日本の中から、日本海側を渡り、韓国、香港、シンガポール。彼の音楽を愛する人々は果てしなく広がってゆくだろう。

それは風に乗って、海に乗って、どこまでも終わりが見えず広がってゆくだろう。

すっかり陽が落ちて、興奮する声に満ちた帰り道を、無数の崎山くんファンに囲まれて歩く。誰かに話しかけたい気もするが、話しかける必要なんてない気もする。事前に買っておいた切符を取り出すが、駅員は多すぎてチェックしていない。

まだ耳には、優しさってなんだろね、と彼の歌の残響が溜まりになっている。



イラスト:浜松のてんぐちゃん @hmmt_tng

この記事が参加している募集

イベントレポ

コンテンツ会議

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?