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突発性難聴からのメッセージ

えーっと。まずは何から話しましょう。とりあえず自分の耳の状況から話すと、今現在耳はよく聞こえています。難聴になるまえと、ほとんど同じくらい聞こえています。いま2回めの診療に向かう電車に乗っていて、今後どうなるかはわかりませんが――しかしまあネットで調べた感じではもういちばん危険な状態は抜け出したと思います。

そのようなわけで、昨日自分の身に起こったことをそっくりそのまま言語化し、のちに突発性難聴になったときのみなさんの参考にしたいと考える次第です。ちなみにこの中で語られる内容は、グーグル先生や、ツイッターで検索したときのほかのひとの状況、突発性難聴に対する医者の一般論はすべて鑑みないで自分の直感と考察によってのみ書きます。ですから、僕の意見に科学的エビデンスは紐付いていません。みなさんがみなさん自身で何が正しいのかを決定してください。人生というのは、まあそういうものです。

というわけで始めます。



12月31日。夕方3時ごろ。僕は耳掃除なんかをして、しばらくYouTubeで動画をみたりしたりなんかしていました。そしてふと椅子から立ち上がったとき、その耳鳴りみたいなものはしました。いや耳鳴りであるとその時に気づいたかは定かではありません。しかしその瞬間から、僕の右耳はなんだか奇妙な調子になったのです。

とはいえ。耳の調子がおかしいと感じたり、耳詰まり、圧迫感、もやもや。そんなものがあることは誰にでもあります。僕も耳掃除していたから耳の汚れが奥に入ったか何かでそうなったのだろうと思いました。

しかしジョギングをしても、お風呂に入っても、状況は改善しません。なんだか耳の中が詰まったような感覚がしており、かなり嫌な感じなのです。しかしあまり気にしないたちである僕は、さっさと眠ることで治すことにしました。

全く楽観的な発想です。

朝になっても状況に変わりはありませんでした。というかかなり頭の右のほうが重く、血液があんまり巡っていないというか、とにかく感覚が鈍い気がしました。そしていつものようにデスクトップを立ち上げ、カシャカシャと相棒のキーボードを打ち始めたとき、そのことに気づきました。

そうなのです。右耳でこの音を聴くと、高い音がかなり聞こえません。これはもはや「聞こえにくいなあ」という次元ではなく、「かなりまずいなこれ」とようやく気づきました。

しかし現代は便利なものです。グーグルさんが「どうどう。落ち着こう。48時間以内なら概ね大丈夫な可能性も3割くらいあるから」こう僕に不確かではあるが希望がないとは限らない情報をくれたので、「やれやれ」そう僕は村上春樹風に言ってしまいました(まじで言ったことを強調しておきます)。

そのようなわけで、僕は電車に乗って救急外来センターに向けて出向くことになったわけであります。

道中。耳は片方がまだ生き残っていた為、そこまで落ち込みはしませんでした。ただ、もう世界の音の実相みたいなものがちゃんと聞こえなくなってしまった(もしくはその可能性がある)と思うと、何やらしんみりしました。この目のまえで仲よさそうに話している男女の声。僕の左隣の母親に甘える子供の声。右にいる老夫婦の会話。すべてがもう以前のようにクリアに聞こえないことも在り得るのだな――みたいな感じです。

やれやれ。こうして人間というのは、年齢とともにあらゆるものを失ってゆくのだ。そして僕はその世界の原則に片方の足を踏み入れてしまい、これから十年、二十年かけていろんな身体的な感情を失っていくのかもしれない…。

僕は席に座ったまま左の耳を塞ぐと、右の老夫婦の会話はほぼ聞き取れません。ここで三度目のやれやれを頭の中で唱えそうになりましたが、それはなんとかやめました。

とにかく、まだどうなるかはわからないのです。



病院では眼鏡をかけた六十歳近いお医者さんがいました。彼は僕が実施した聴力検査の結果をみると、「入院するかどうか、かなり微妙なところです」というようなことを仰いました。

ワワワワ、ワッツ? とはさすがに言いませんでしたが、入院の可能性があったとは驚きです。僕は聞き取りにくい彼の話(じつはこの時がいちばん不便だなと感じました)を聴きながら、取り敢えずは入院ではなく外来でやってゆくことにしました。

そして彼に治療法を聞いてみると、それは「点滴と飲み薬で血流をよくして内耳のあたりのあれを云々」みたいなことを言っていました。

ここで僕は〈え? 点滴ってそんなんでどうにかなるの?〉と思いましたが(僕は点滴をしたことがないのです)携帯で検索するとやはりそれ以外特に解決策はないようです。いや解決策どころか、どのような要因で突発的に耳が聞こえなくなるかはブラックボックスでまったく解明されておらず、原因は不明であるというではありませんか。

僕はこのような耳の中の神秘、人類がいまだたどり着けないめくるめくワンダーランドがあるとは知らなかったので、うわちょっと面白いな、とか思ってしまいました。

いずれにしても、さっさと点滴はしたほうがいいみたいです。

ここで時間をちょっと巻き戻して、電車の中に戻りたいと思います。というのも、僕は急いで語るうちにこの突発性難聴になった人間の感覚の中でもっとも大切らしいもの(僕がそう思っただけなんですけど)を記述し忘れていました。

それは電車の中でシートに座りながら抱いたこの思いがすべてを物語っていると思われます。

なんか右耳だけ時間が止まっているな。

これです。この右耳の停止を僕はかなり感覚で嗅ぎ取っており、それは人間で言う「仮死状態」というのとすこし似ているように感じました。そしてまた病院に戻って、ベッドに横になった僕は左腕に点滴の針をぶっ刺されます。

僕が天井のピンクの液体と蛍光灯とオフホワイトのまだら模様みたいなものを見ていると、何度かお医者さんが心配して来てくれました。「また明日の聴力テストでよくなれば、全然ちがうから」
「はい」と僕。



取り敢えず写真を撮っておくあたり僕も自己発信にどっぷりハマっているなといった感じです。

さて。真実を言ってしまうと、僕はじつはこの症状になったときに慌てふためいたりはしませんでした。どこかで、たぶん僕の耳はもとに戻ってくるはずだと思っていたし、自分が迅速に動いたのでまだ耳の異常から24時間たっていませんでした。そして僕は点滴が始まってしばらくすると、ポジティブな気持ちが強くでてきました。

横になっていると耳の感じはよくわからないのですが、それでも点滴が終わって、受付で料金支払いを待っているときには事態の好転に気づいていました。

耳の時間が動いてる。

マフラーをしながら救急外来センターのビルからでたときには、そんな直感の声が聞こえました。右耳のそばで指をパチパチ鳴らすと、それはさきほどよりもかなりちゃんと、従来の耳と似たようなレベルで聞こえてきました。

やれやれ。結局三度目がでたことは言うまでもありません。



家に帰ってあれこれ見てみると、この突発性難聴というのは、ものによってはそのひとの人生をかなり決定的に変えてしまうようです。片耳にでるひとが多いようなことがネットの記事では語られていますが、Twitterやnoteでは両耳に症状がでてしかもあまり聴力が戻らないようなひともいるみたいです。

僕は自分がなってみて感じましたが、これはウイルスだとかなんだとかはたぶん関係していないと思います。寧ろ関係しているのは人間の遺伝子のほうであって、その遺伝子も特定の個体がどうこうではなく、人間存在全体が共通で持っている遺伝子が関係していると思います(このへんは完全に直感)。

あの螺旋構造の遺伝子の中に、たぶんこの突発性難聴に関係する情報があって、それが全員の中に書き込まれています。そしてある日、ある時、それこそ突発的にグリーンの信号がレッドにストンと切り替わるのです。それは誰しもが表現するように、なった瞬間にわかります。

そしてここからが大切なことですが、この現象が耳に起こったとき、人間存在は世界に試されます。仮死状態のような感じで耳が呼吸をやめたこの瞬間、あなたは病院に向けて走る必要があるのです。

結婚式をしていても、会社で重要なプレゼンをしていても、フランス料理の頂点を決める大会でブイヨンスープをなんかしていても、この瞬間にすべてのこの世のあらゆること全部を捨ててください。5年間追いかけてきた愛する世界的バレリーナと初めてベッドをともにできそうなときですら、あなたはそれをぽいと捨てないといけません。

耳の心停止までタイムリミットは2週間。いやかなりのところまで戻したいなら48時間以内に耳を助けてください。これをしないで外的世界の諸々のことにかまけてしまうと、あなたは今後世界で大変な目に合います。文字通り耳が曇った世界で、耳鳴りが恒常的につづく世界で、日々膝あたりを掴んで怒りでねじりたくなるような気持ちで生きることになってしまいます。

そしてこれも大事なことですが、48時間以内に何かしてもまずい状態に留まるひとはいるようです。しかし。それは起こります。ある日突如世界であなたの耳にボーイングが突っ込んできたみたいなものです。

これは不謹慎な比喩に思えるかもしれませんが、耳が半分聞こえにくくなった世界はかなり辛いです。片方だけ目を瞑って12時間生活してみると、それはすこし感覚として「かなり厄介だ」ということが理解できるでしょう。

いいですか。Twitterで検索しても何人もこの世界からの問いかけを受けているひとがいます。それはいま起こっているし、いずれあなたの耳にも起こる可能性があります。すべてを投げ出す必要があります。耳の価値は50億じゃ替えが効きません。あなたが50億を掴むかどうかの大博打で香港でマフィアとなんかやっていない限り、絶対に投げ出して病院で処置を受けてください

この文章の後半は2回めの診察が終わったあとで自宅で書かれています。案の定かなり僕の耳はもとの状態に戻っていましたが、それでも高音の8000ヘルツあたりは依然としてちょっと戻ったとは言い難い状態みたいです。今日2回めの点滴をしたので、また明日、明後日の状態をみる必要があるみたいです。




ここまで書いてきて、もう大体の伝えたいことは書き終えました。そして最後に歌手やアーティストのひとがこの突発性難聴になりやすいみたいな話に、ひとこと僕の個人的な考えを述べたいと思います。

簡単に言ってしまうと、こと突発性難聴に限っていえば、アーティストとか歌手とか耳を使う商売だからとかいうのは幻想に過ぎないと思います。耳を酷使したからなるんだという話は信憑性があまり高くないように思えます(あくまで体感の話です)。

なぜ彼らがピックアップされるかというと、彼らは耳が命だからです。だからその突発的に耳が聞こえなくなることが、より悲劇性を増して人々の共感や哀れみを誘っているにすぎない。しかし実際のところ、人気アーティストでなくてもごろごろ突発性難聴になるひとはいます。

ストレスが原因だ。イヤホンの使いすぎ。大音量の聴きすぎ。急な変化に見舞われた。無理をしすぎた。

この地上でこの症状に見舞われたひとはそのことに自分なりの解釈、解答をみつけて対策を練ろうとします。どうにも人間らしいですよね。

僕が体感から勝手に導いた解はこうです。

この突発性難聴には原因はいっさい存在しない。ある日突然遺伝子がぱちっとスイッチを入れるだけだ。よってこの現象から逃れようだとか、もう起こらないように生活習慣を気にしようだとかいう諸々の術策には意味がない。そんなことに時間を使ってもどうにもならない。選ばれたらすぐに動いて耳を蘇生するためにできることをする。これだけだ。

つまるところ、突発性難聴は死が変容したものである。このようなことは人間存在の全固体に起こりうるし、起こったら起こったでしょうがない。兎に角その日が来るまで毎日を真剣に取り組むことだ。そしてこれは突発性難聴に限らない。すべての病や癌やら何やらがある日あなたを襲ってすべてを変えてしまう。すべてを変えてしまうことがわかった世界でわれわれはつねに生きている。


――というわけで、突発性難聴の話をしていたはずが、全人類がどう生きるか? という話になんとなく発展してゆきました。そしてそれはべつに変な話ではないと思うし、誰しもがこういうことにある日突然見舞われます。そしてその耳にボーイングがぶち当たったとき、そのひとの決断力が問われます。毅然と立ち向かうか、なんとなくごまかすか、リミット48時間(ないし2週間)の中で高速ですべきことを決定して動く必要があるのです。

僕はみなさんの耳が心停止したとき、当たり前ですが何もしてあげられません。ただ、これを事前に知っておけば50億という具体的イメージがあなたのまえに現れてくれるはずです――いや。もしかしたら50億は安く見積もりすぎかもしれません。音楽が与えてくれる歓びは1兆円を超えるプライスレスなものですから。

では。
健闘を祈ります。

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