アウトプットのススメ

じつは世間をみていると、アウトプットの量が圧倒的にすくないように見える。しかし実際はアウトプットこそが、ひとのからだにとっていいことなのだ。

あなたの頭は普段どれぐらい情報を得ているだろう。twitterのタイムライン、アプリ、LINE、街中の音でいっぱいの世界。こうしたものは好むと好まざるとにかかわらず、あなたの脳のなかに情報をためてゆく。

たまっていくとどうなるのかといえば、頭がとても重たくなってゆくのだ。あなたは重たい頭を抱えて、その日の業務に専心しないといけない。そして業務では向かい合っているひとから「ああだこうだ」といわれ、それもまたあなたの頭を重くする原因である。

以前電車のなかで、頭が重たくて足が震えているひとをみたことがある。実際に頭が重たかったかは定かではないけれど、そのひとは椅子に座ってダイエット・コーラを飲んでは、ぶつぶつと誰かへの文句をつぶやいていた。

彼のまわりではすこし不穏な空気が流れていたが、それでも誰も何も言わない。まあもちろん言えるわけはない。しかしそれらをみていた僕が思ったのは、これはアウトプットが不足しているということだった。

アウトプットをする習慣がない彼は、とにかく外にいらいらを出してしまわないように、つまりぎりぎりのところで社会性を保とうと必死で格闘していたわけだ。

つまるところ、これはトイレをずっと我慢しているのと同じだ。頭が重くていらいらしているのであれば、とにかくその脳のなかにあるものを外へと出さなければならない。いちばんいいのはノートでもなんでもいいが、そこに書きなぐることだろう。

ノートは深い井戸のようなものだから、もちろんそこには何を書いても問題はない。だいたいひとにみせるようなものではないのだ。罵詈雑言を書いても、破って捨てれば、なんということはない。

文章を書く習慣がないひとが聞くと、「え?」と疑問に思うかもしれない。しかし部屋のなかでゴミがたまったらだすのと同じで、脳にたまっているジャンクなものをやっぱり外にださないと、メンタルヘルスの観点からみてもよくないと僕は思う。

とにかくひとはどんどん自分を「ラクにする方向」へと誘導していった方がいいのだ。

メンタルヘルス、メンタルヘルスと最近よく聞く。これは僕が思うに「循環をとめないこと」だと思っている。

みなさんの部屋も数年でクローゼットのなかが置き換わり、室内のものが置き換わるだろう。新しいPC、新しい携帯、新しい眼鏡。すべてのものは循環していて、あなたの体の細胞や髪の毛もそこにはふくまれている。

この「ハードの循環」を小さいころから僕らは習うわけだが、「ソフトの循環」はなぜか習わない。あるいはひとに居酒屋で熱心に打ちあけ話をするというのも循環なのかもしれないが、いつもいつも居酒屋に友人を連れてゆくわけにもいかないだろう‥。

結局のところアウトプットは自分ひとりで「完結したかたち」で行う方法を持っていたほうがいい。そうでないとつねに愚痴ってばかりいて、相手に愛想を尽かされてしまうなんてことだってあるかもしれないのだし‥。

だから自分で一冊ノートを用意し、ラミーの万年筆を買って、A4の紙にごしごしとアウトプットしてゆくと、ほんとうに排尿を(失礼)している気がしてくるのだ。体は「ああ」という快楽にひたってゆき、書き終えたあとには真実すっきりする。すっきしてして軽い、堆積していたゴミがなくなった部屋になったわけだ——つまり頭のなかが。

だからこの方法でアウトプットする習慣をつけておくと、あなたはいつでもノートをひらいて頭のなかの重さを外へと吐きだすことができるのだ。

ひとつ象徴的だなと僕が思った話に、関根麻里さんと結婚したKさんの話がある。Kさんは韓国国籍だから、兵役の期間があった。彼は歌手だから「歌うことでアウトプット」していたわけだが、歌を歌いまくるわけにはいかない状況に入ったわけだ。

そこで彼がどうしたかというと、彼はノートに日本語のカタカナで韓国語を書いたのだ。チョヌンナントカカントカ、という具合にだ。そうすればそのノートに上官の悪口が書いてあっても大丈夫という、つまりはそういう作戦だったらしい。

僕はこの話を聞いて、ふむなるほどなあと思った。やっぱりKさんもソフトの循環が必要だと考えていたのだ。

もちろんこの頭がきわめて重くなってくるという現象には個人差がある。だからひとにとっては、この習慣は必要がないのかもしれない。しかしひとによってはこういう習慣を持っておいて、自分の脳のなかを「クリーンな状態」にしておくのは悪くないはずだ。

体のハードも、ソフトも、部屋のなかも、人間関係も。どれも心地よく循環していると、人生はうまく行きはじめると思う。僕は毎日外を走る習慣をつづけているが、これはハードの循環に寄与している。

つねに精彩のある状態に居続けるは難しい。しかし循環しようという意識さえあれば、それはうまくゆくだろう。

そして書くことは忘れることにも結びついている。日々のいやなできごと、ひととの軋轢、そんなものも忘れてしまえばたいしたことではない。

じゃ、健闘を祈る。


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野宮 直喜

ΟΔΥΣΣΕΙΑ

論じている系の記事か、日常のこと。2018.3月-10月
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