眠ってから起きるまで。
僕は元来、寝付きが悪い人間だ。
勿論、寝起きも悪い。
子供の頃、本当に幼い時はそうでもなかったが、小学4年生辺りから宵っ張りになった。
おそらく中学受験を見据えて塾に通うようになったからだろう。
もう30年以上、宵っ張りである。
だからもう4時をとっくに過ぎたというのにnoteに初投稿をしているのだ。
今、うつ病とパニック障害を抱えている。
とは言え、回復期に入り意欲も湧き、2回目の社会復帰へという段階だ。
2回目、というからには1回目も当然ある。
1回目は言ってしまうと「別れ」があったからだ。
もう過去のことだから、そのコト自体には深い感傷もない。
5年間同棲して別れた、ありふれた話であって、それだけだから。
ただ当時の僕は疲弊しきっていた。
うつ病とパニック障害を抱えた人とずっと暮らしていたから。
これは非常にしんどいし、面倒くさい。
いざ自分がそういう状態になるとよくわかる。
綺麗事なんかじゃなくて、本当に辛いことだらけだ。
色々と気を使わなければいけないし、考えなければいけない。
眠りの邪魔をしてはいけない。
発作が起きたら対処しなければいけない。
まあ、単純に合わない人だったんだと思う。
5年間も付き合わせて申し訳なかったと思うけども、それはお互いさま。
僕もそうなったんだから。
そんな1回目はうつ病だけで済んだ。
しばらく休んで、社会復帰した。
そして2回目はすぐやってきた。
言ってしまえば仕事上のトラブルなのだが、相手が大きすぎ、傍若無人過ぎた。
その会社は一切信用しなくなったし、商品も嫌いになった。
人が商品、なのにね。
タイミングが悪かったのかもしれないが、とある日、長い社会人人生でもワーストに入るくらいに理不尽な目に遭った。
30歳直前まで生まれ育ち、暮らしていた東京23区の下町。
電車の乗り継ぎだって息をするくらいに簡単だ。
それが、怖くなった。
それが「死」を強く感じさせるコトになった。
よく「玉ヒュン」って言う現象がある。
不意に少しの段差で金玉がヒュンっと引っ込むような感触。
女性に伝えるならば、夢の中で何かに落ちる瞬間に足を引っ張られる感触で目を覚ます。そんな感じ。
その不意の段差には底が無く、延々と落ちていくような穴しかない。
落ちたらずっと「死」の中にいる感覚。
僕が体験した「パニック障害」はそういうことだ。
そうなってしまった僕は、多摩の少し奥までの1時間、独りで移動できなかった。
通い慣れた東京の実家から札幌の自宅への帰路、誇張無しで100に近い往復をしていたのに、その約6時間が地獄だった。
発作が起きてから帰宅するまでの恐らく2日間、ずっと息が浅かった。
その後、約1年を踏ん張りきって…
何もなくなっていた。
それは今でも悔しいし、死ぬまで悔しく感じる出来事だと思う。
そのプランに賛同してくれて応援してくれた人に100%の状態で報いることが出来なかったこと。(そして今でも思い出してくれる人がいることに感謝)
自分で必死に作ったプラットフォームが蹂躙され尽くして、プランも真似事されたこと。
次のプランも断念せざるを得なくなったこと。
これからの、働き盛りの多くの時間を失うこと。
そうして宵っ張りの僕は、色々な感情や事柄を抱えて眠りについた。
一つ一つの事柄を獏に食わせるのに、3年以上かかった。
獏に物事を食わせるのはかなり手間だ。
食わせても食わせても減りはしないし、ゲロも吐く。
食いたくないとそっぽを向かれることもよくあった。
その獏が色んなものを食べていって、得体の知れない化物になるのが怖かった。
獏は、僕自身であるから。
僕がそれまでの僕の意志とは関係なく僕ではなくなっていき、起きた時に「自分が知らない僕」になることが怖かった。
それでも、食べさせていくしかなかった。
そしてようやく目が覚めて、寝床から起き上がり、水を飲みトイレを済ませ、歯を磨いているのが今なんだろう。
写真は2018年9月6日の早朝、北海道胆振東部地震があった日の家の部屋の窓ガラス。
札幌市東区、震度6弱。
僕のカラダとココロもこうだったんだろう。
時間なんて勝手に過ぎるし、地球は知らん顔で回る。
羨ましいな、お前。
そう思って撮ったのがカバー写真だ。
2018年9月6日午前、札幌の空。
地上は停電やら液状化やらで酷い目に遭ってるんだぞ。
人の気も知らないで、意気揚々と晴れやがって。
宵っ張りの僕が社会的に目覚め始める少し前。
そうか、いいんじゃねえか。
世間様が言う「30代後半から40代前半の働き盛り」を眠って過ごした。
宵っ張りの僕にはピッタリだ。
さて、歯でも磨くか。