いのち。

今日は「いのち」について深く考えさせられる一日になりました。

いのちってなんでしょう。

生きていること。

暮らしていること。

僕も生物である以上、いつかはいのちを失います。

それが明日なのか数十年後なのか。

どういう風にいのちを失うのか。

全くわかりません。

僕はどうにかこうにか、幸運なことに41年8ヶ月を生き延びてきました。

何度かいのちを失いそうになったこともありましたが、少しの白髪が生え、体の衰えを感じるくらいまで生き延びてきました。

僕が生まれてから今日に至るまで、色々な事件や事故が起こりました。

数えだしたらキリがないほど、です。

失意の中で失われたいのちは、測ることはできません。

そして、失われたいのちに対して僕はなにもできません。

悲しむこと、心苦しくなること。

それはあくまでも僕の心の動きであって、失われたいのちを取り戻すことはできません。

なにも、できないんです。

何もできないまま、手を合わせ見送ることしかできません。

あまりにも無力なのです。

僕にできる唯一のことは、粛々といのちを繋げて生きていくことだけです。

ただ、それさえ僕の完全なコントロール下ではなく、実にあやふやで不確かなことです。

僕のいのちの終わりは、誰にもわかりません。

もちろん僕自身にも。

プロフィールにもあるように心の病を抱えて生きています。

正直言って面倒くさく、厄介なものですが、幸いなことに生死に直結するものではありません。

尿酸値と血圧も少し高いですが許容範囲内、肥満を除けば肉体的にはわりかし健康です。

そういう病気なので本来ならば、今日の悲しい出来事から僕を遠ざける必要があるのでしょう。

しかしながら、辛いですがこの出来事から目を背けてはいけないと感じる僕も居ます。

言葉にして書き起こすのがとても難しいのですが、僕にとって身近な出来事ではないからこそちゃんと見届けなければならない、という思いです。

今日の故意の火災に限らず、本州では長雨大雨が続いています。

これ以上、悲しいことが続かないことを祈り、見届け、いのちについて考えていこうと思います。

取り留めのない文章で申し訳ございません。

心がかなり乱れています。

でも、書き留めて、なんとか整理して生きていこうと。

それが今、僕にできる数少ないことなのです。

皆さんのいのちがどうか健やかに続きますように。