夏に思う「高校野球」の在り方。

まあ、好きな人は好きなんでしょうが。
個人的には「高校野球」ってそんなに好きじゃないんですよね。
まあ、東東京の都立高、しかも野球部すら無い高校に通って卒業したわけですから、全く身近でもない。
ちょっと遠いところに「高校野球」ってのがありまして。

僕は所謂「体育会系」のノリが凄く合わなくて。
そりゃあ上下関係はそれなりに身についていますし、怪しいですけども、まあ上座下座くらいはわかりますよ。

でも、なんですが。
体育会系の理不尽なノリは野球界に本当に貢献しているのか。
厳しすぎる上下関係は、スポーツのもっと大事なところを見落としていないか。
そう感じるわけです。

僕は中学校の時には野球部でしたが、中2の時は辞めてました。

水を飲まないランニングに何の意味がある?
軸足の使い方を指導しないバッティング、ピッチング、フィールディングに何の意味がある?
とにかく走れ、飛び込め、泥んこになれ。

おかしくないですか?
僕は偏屈で天邪鬼というのもありますが、理由が欲しいんです。

何故、給水なしに走らないといけないのか。
何故、泥まみれのほうが重宝されるのか。

僕は非常に足が遅い。
面白いくらいに足が遅い。
だから、広く遠くに飛ばさないといけない。

僕が一番疑問に思ったのは「トスバッティング」でした。
投げられた球に対してワンバンで返すやつです。
アレをやるとカラダが開く、つまりは僕の胸がピッチャーに向けるタイミングが早くなりすぎるんですよね。
そうすると僕は左打ち(そっちの方がボールをよく見られる)なので、引っ掛けたらセカンドゴロなんですよ。

バッティングって人それぞれの部分が大きいのですが、個人的にはゴロは要らないんです。
ライナーが必要なんです。
ボールが地面に接すると当然摩擦が起きますから、勢いは遅くなる。
足が速ければいいけども、鈍足の僕にはデメリットでしか無い。
中学野球でライトの守備が上手かったり肩が強かったりは貴重種ですから、左バッターの僕の理想は

「右中間を鋭く切り裂く」

でしてね。

まあ、ちょっと話を高校野球に戻しますと。

学校野球だけが高校野球だ。
それは違うでしょ。
と、言いたいわけでして。

サッカーみたいにクラブチームやジュニアチームがあっていいと思うんですよ。
学校単位でもいいし、チーム単位でもいい。
そういう空気に合う合わないが絶対にありますから。

例えば都市対抗野球大会で高校生が出てきたら驚くでしょ?
いや、高校野球の上下関係が合わないんです。
でも、チームのために野球ができますし、考えますよと。

絶対に居るはずなんですよ。
どうすれば野球で「意義を為す」のか、学生野球以外に答えを見い出しているヤツらってたくさんいると思うんですよ。

2019年、岩手大会。
佐々木朗希選手を要する岩手の大船渡高校が県大会決勝戦で負けました。

連投をさせていれば甲子園に行けたはずです。
そうしなかったのは「佐々木だけのチームじゃない」と言う一心で。
僕が思うに、高校野球の先を見据えた判断だと思うのです

野球は一人で成り立つスポーツではありません。
9人+控えがあって成り立つのです。
一人で何球投げ抜いた、そんなちっぽけなことじゃないです。
81球、打者27人に対して三球三振を取れるスポーツじゃありませんから。

コールド抜きに考えると1打者1球、27球を要して、全てがピッチャーフライでは無い限り、誰かの力を請うのです。
まあ、そんなことなんかほぼ有りえませんが。

所謂「高校野球」には27球で勝つ「信仰」が根付いているんだと思います。
いや、それより下の年代でも。
決して一人だけで勝てる試合なんかないですから。

もっと野球を広く、深く、確かに知ってもらいたい。
僕はそう思っています。
野球は35%成功すれば勝てるスポーツです。
逆に言えば65%の失敗をどうマネジメントするかのスポーツです。
僕はドラマティックよりも劇的な現実を目の当たりにしたいと思う所存です。