創作だなんて神じゃないんだから。

よく「クリエイター」だの「創作家」だのを自称する人が居る。
僕はWebの中でも企画や制作を多くやってきたけども。
まあ傍から見れば「クリエイティブ」なのかもしれないが、実はそんなことは全く無い。

記憶と経験、既存のものを組み合わせているだけに過ぎない。
言ってしまうと「組み合わせ」をしているだけなのだ。

ただ、その組み合わせがヨノナカでどれだけ少ないか、その組み合わせがヨノナカを動かせるのか。
それだけのパワーはあるのかは凄く考える。

例えば前に作った番組でも「このディレクターは藤村Dになりたいのか?」と書かれたことがある。
半分はその通りだ。
水曜どうでしょうの藤村Dの役割、所謂「現場の神の声システム」は物凄く有用だ。
演者さんにツッコミを入れたり、とぼけたことを言う人がカメラに映らない。
そうすると演者さんの表情がすごく豊かになる。
カメラ目線だけじゃなくて、カメラの横に居る僕に視線が来る。
そうすることで「撮影を粛々と行っている感」が無くなって「現場の空気感」まで撮ることができる。

でも「現場の神の声システム」も藤村Dが最初じゃなくて、その前には電波少年があり、初期のガキの使いもあり、みなさんのおかげですもあり。
もっと言うと昭和の「ゲスなワイドショー」もそういう手法を取っていた

水曜どうでしょうでも最初期は藤村Dもそんなに喋らなかったが、だんだんと喋るようになったのは「現場の空気感」まで撮る面白さが、水曜どうでしょうに合うんだと思ったからだろう。

で、半分は違う。
女性2人だけで喋っていても「伝えたいことがボヤケやすい」のだ。
これは女性特有というか、それが良い方向に作用することも多々あるのだけども。
例えばラジオ番組とかね。
そういう「喋り優先」のコンテンツだと女性だけでも面白いことは本当に多い。

ただ。僕が作りたかった野球番組は「キャッキャウフフ」じゃなくて、もっと映像としてシャープにしたかったからだ。
実は男性ゲストが居ない回は8回中1回しかない。
自然とそうなっていったのもあるが。
可愛らしいMC2人と男性ゲスト。
すると、バシッと絵面が際立つのだ。
MC組はもちろん、男性ゲストの魅力も引き出せるのだ。
そこに「現場の神の声システム」を加えることで、その現場の空気感も撮ることができる。

まあ、僕は決していい声じゃないし滑舌も悪い。
何度もディレクターの僕がNGを出して申し訳なかったけども。
ただ「現場の神の声システム」がないと「撮っていて面白くない」と感じたからで。
面白くないものを編集したってたかが知れている。
これはパイロット版のリハで気づいたこと。
伝わらないと思うけども、結構頑張って喋ってたんですよ。

簡単だけども、こういう風に考えて企画して制作をしている。
それを面白く感じる人もいれば、そうじゃない人も居る。
それは覚悟の上。
100%の需要には応えられない。

なので、全くのゼロベースの企画であっても「目的」が発生した時点で「手段」が決まる。
その手段というのは娯楽が生まれた時から脈々と続いていて、今ではゼロベースの「手段」はほぼ無い。
楽曲にしたってコード進行が似ているとか、歌詞が似ているとか、アレンジが似ているとか。

つまり「組み合わせ」でコンテンツを作っていっているわけで。
その中で化学反応が起きそうな「組み合わせ」をしてみたり、ヨノナカがまだ気づいていない「組み合わせ」を選んだりしているのだ。

なので、創作とかクリエイターと言われると違和感が残る。
なんでも創造できる神じゃあるまいし、人間なんざヨノナカの事象を「組み合わせ」て新しいモノやコトを作っているに過ぎない。

つまりクリエイト=創造をしているわけじゃなくて。
それを一緒くたに「クリエイティブな仕事」と言われても困るわけで。
神じゃないんだから。

それに過去に作って終わったモノは過去のものでしか無くて、そこから時間は進まない。
まあ「消費されにくい」というのはすごく意識したけども。

ま、体調が良くなってお金を貯めたらまた何かやるよ。
だって、楽しいんだもん。