日録:演劇『人類館』/沖縄県立博物館美術館設立経緯のレクチャー

 久高島のことをまだ書き終わっていないのですが、そっちのほうがリキがいるので、今日の日記的なものを先に挟みます。

 昨日東京に居たので、今朝始発で成田に向かい7:40のJetstarで那覇に。sima art labのセッション「沖縄県立博物館・美術館建設と前島アートセンター」に参加した後、バスで沖縄市民劇場あしびなーに向かい、劇団「創造」の『人類館』(作:知念正真/演出:幸喜良秀)を見た。(渋滞で10分ほど遅刻)

 『人類館』は僕が生まれた年に岸田國士戯曲賞(第22回)を受賞している作品。ちなみに、2作品受賞でもう一本は『小町風伝』(太田省吾)です。
 まだ戯曲は読んでない。2月に沖縄に来て、この戯曲の存在を知って、そのときからとにかく観れる機会があったら絶対観たいと思っていた作品。後で調べて知ったことだけど、今回の演出の方は、初演も演出した方のようでした。
 1903年の大阪内国勧業博覧会で沖縄人(やアイヌ人など)が「展示」されたことを素材にとりつつ、でも中身としては、沖縄戦のこともあれば、米国占領下のことも出てくるといった感じで、沖縄が経験したさまざまな不条理が立ち現れる感じの在庫一掃セール的な盛り込みよう。と同時に「展示」というところで、この劇自体も晒しものだということ利用してもいて考えられた戯曲なのではないかと思う(まだ戯曲読んでないし、ところどころ変えてる/アップデートしてる気がしたけど)

 ベトナム戦争の経験の仕方などは、内地と沖縄で根本的に違うのだろうというようなことは思った。あとまあふつうに、ひとつひとつ出されてくる話題が、どれも終わってなくて、戯曲としては全然古くないように思う。あと、前述の構造がとても自由で、ある意味エンタメ化というかシチュコメ化というか、戯曲の結構が重視される前かつ別役さんの後ということもあって、自由というか、あまり論理の枷にはまっていないので、演出の余地がかなりあるように思えた。それで誰にやってもらいたいかな〜などと考えながら、ソン・ギウンさんと多田(淳之介)さんの『カルメギ』(チェーホフの『かもめ』を日帝時代に置き換えて翻案)など思いながら観ていたら、完全にウチーナーグチのシーンが出てきて、やっぱ沖縄のひとでないとできないのか、とか思ったり、揺らされた。
 演技は、まあわりと、そんなに解像度が高いものではない。問題のリアリティということ以上に、コミカルさが強調されている感じもして、それも誰か今の演劇の解像度えやれる人に頼んでみたいと思うきっかけにはなったんだけど。
 いずれにしても、戯曲は全然古くなってないので、なんかやってみたい気はする。

 観客の半分以上は50代以上っていうか還暦オーバーの人のように見受けたえけど、あしびなーは満杯といっていい入りだった。作者の方が去年の秋に亡くなて初めての上演だったせいもあるのかもしれない。追悼公演と謳われていた。

 それにしてもコザの街のさびしさ。「十字路といえばコザの十字路のことだった」時代があるそうだけど、十字路あたりはほとんど何もない。銀天街も21時ですでに片手ほども店がやってなかった。僕が高校生の時くらいの地元を思い出す。もうこれは復活できないんじゃないかな、とドキドキした。今頑張っている方がいるみたいなことも聞いているけれど。

 那覇の中心あたりにだけいると見えない。

 その前に、昼は沖縄県立博物館・美術館の設立経緯の話を聞いた。これもとても勉強になった。「博物館と美術館が同じ建物ってめずらしいなぁ」と思っていたんだけど、実際はやはり別々にするという構想だったのだなと思った。

 沖縄の90年代は大田昌秀知事時代で、そのころ、文化庁も積極的に文化政策を推し進めようとしていた、そのことと、地元美術関係者の連帯の成果として、この美術館には明確な基本計画がある。けれども、それが稲嶺知事時代の凍結〜見直し、仲井真知事になってからの運営〜条例・管理規則制定でわりと骨抜きにされて、今の形があり、それも天下りだったり政治の世界の功労人事みたいになって、美術関係者にとっては疎遠なことになっているらしい。

 ある意味これはわりとどこの地域の公共文化施設でも起こっていることのようでもあるので、別に沖縄が諦める理由にはならないと思う。

 ということと同時に、沖縄県の文化政策の流れとかをなんとなく知るにあたって良い時間になったのではないかなという気がしている。もし自分が地元民で美術関係者だったらがっかりするだろうとも。でも基本計画を創る時のプロセスみたいなことを忘れずに、10年代歩んでいければよいような感じがした。

 そうして家に帰って来て、見れていなかった平田オリザ×東浩紀@ゲンロンカフェ11/3の続きを観ていた。後半戦はとくにいろいろと刺激のあるやりとりがなされていて、面白かった。辺境/地方のイメージとして与那国島が出されたことで沖縄の話もいろいろ出てきたりして、沖縄で俺これ見てるんだわーというふうに思うこと多数ありました。