見出し画像

宗教の教祖が宗教への帰依による幸福を否定

 本ノートのテーマは、「AI幸福論」です。そこで、ときには、現代の他の方の幸福論も引用し、コメントしてみたいと思います。ダライ・ラマ14世が動画で(幸福になるために)「神仏に祈る必要はない」と説き、衝撃が走りました。次のリンク先の冒頭に埋め込まれた動画は再生回数60万回弱です:

 ”#ダライ・ラマ法王 は2月11日に #ダラムサラ の公邸で行われた講演にて、ドラッグ、アルコール、お金から幸せは得られない、また宗教への信仰心から得られるものでもない、究極の幸せや喜びは思考によってのみ得られるもので、頭脳を使い科学的に考えことが重要、神仏に祈る必要もないと説かれました。”

 いまのAIに出来ない論理的思考、科学的な考え方の重要性は、「AIに勝つ!」で強調させていただきましたが、まさか、仏教の一大宗派の教祖の口から同様のご発言が聞かれるとは思いませんでした。まったくもって共感、同調いたします。

 キリスト教の場合、イエスが亡くなって300年たって、燎原の火のごとく広がった教徒を効果的に支配するため、ローマ帝国が全国の教会の代表を集めてニケア公会議を開催。この場で、イエス=神としてしまい、元々の教義やイエス自身の考え、思いをゆがめて単純化してしまいました。

 一方、人間ゴータマ・ブッダ(シッタルダ王子)は、あくまで人間であることを今の教団のトップにまで伝えています。世界宗教として、より純粋な姿を保ち(すくなくともチベットでは)、人間ブッダの幸福哲学を今に伝えているといえるでしょう。それが奇しくもAIの時代に、人間らしい思考力を伸ばし、活き活き働いてAIを凌駕するコツと同じメッセージ「究極の幸せや喜びは思考によってのみ得られるもので、頭脳を使い科学的に考えことが重要」となっています。

 どんな時代にあっても、考え抜いて、突き抜ける域に達した哲人、宗教家は、2000年後にも通用する普遍的な教訓、価値観を伝えることができるのですね。身震いするような思いがしました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?