直江兼続ー愛恋

言葉のニュアンス:「愛」vs「恋」

 小生のノートが毎回濃厚過ぎる、もっと短く爽やかなコーヒーブレイク的なのがあってもいいのではというコメントをいただきました。そこで今回の題材です。3冊の日本語単著の全てで、言葉のニュアンスを捉えることへのこだわりを示し、また、お笑いの重要性を強調しましたので、これらの成分を混えたコラムを今回お届けします。

 上の画像左は、改変後の商用利用さえ許可された直江兼続の全身鎧像の写真の頭部そのまま。画像右は、その上に「恋」の字を重ねたものです。戦場で人斬りの際に被る兜に「愛」とは驚いたものですが、「恋」に変えただけで「とほほ」な感じで脱力します。それはなぜだろう?と私が考える前に、お笑いにして放送してしまったTV局があります。NHKさんです。

 サラリーマンNEOで沢村一樹が演じるセクスィ部長は、廊下を歩くだけでその色香に、すれ違う女性たちがノックアウトされ、倒れていく存在。このセクスィー部長をもじって、セクスィー武将が登場しました。

確か、直江兼続が主人公の大河ドラマをやっていた頃か、終わった直後くらいです。

 さて、お待ちかねの、なぜ兜に「恋」だと脱力するのか?

1週間ほど前にbuzzって流れてきた下記によれば、まず1番目ですね:

恋は一人でも成立する。愛は原則2人が必要。岩崎宏美の大ヒット「聖母たちのララバイ」ではたとえ伝わらない片思いでも相手があれば崇高な「愛」が成立するという "例外" 事象が感動を生んだのかもしれません。

 ともあれ、大義を掲げ、何のために戦うのか、自分はどんな存在かを1字で表すのに、独り善がりで、目がトローンとラリってるような恋(二人でラリってるのも恋でしょうね)が兜にのっていては迫力も説得力もない。脱力するしかないわけです。

 1字掲げただけで、「さぁ、これが俺だ!正々堂々とかかってきなさい!」と無言で伝わる「愛」。これに対し、どう告白しようか悩み、敵陣の下駄箱にラブレター置いたら敵の武将様、読んでくれるかしら?とクネクネ身をよじりそうなのが「恋」。一目惚れしたり、あるいは逆に一瞬で冷めたりもする「恋」では、どっちの陣営に突然寝返るかわかったものではない。相手の嫌なところ(強みの源泉)から目をそらして盲目で飛び掛かっていきそうな「恋」でラリった武将は簡単にやっつけられちゃいそうです。

 いやー、長年未解明だった「恋兜はなぜトホホなのか?」の理由を、おかげさまで説明できました。「なぜ?」を問うことは、やはり大切ですね。言語学、心理学は説明理論を求める立派な科学です。 めでたし、めでたし。

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