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思い付く、とは? (1)

 この能力、脳の作用については、まだまだ研究途上で、自身で何万回といろいろ思いついたときに、その直前の状態、しばらく前のきっかけ、思考プロセスなどを思い返そうとするのですが、毎度多彩で、なかなかうまくいきません。そこで、今後も、毎日考えてまいります。その宣言といいますか、思いつくこと、相手に思いつかせることの効用など少しずつ、回を分けて書いてまいりたいと思います。

 いわゆる発想法、発想力、発想術について書いた本は古今、かなりの数になりそうです。また、それを実装したとみられる、アイディア・マシーンだったか、ロシアのソフトウェアが30年前位にありました。いずれも、無関係そうな、異なる出自のデータ、情報をランダムに組み合わせて見せ、その中から人間が選ぶ(少しは絞ってるでしょうが)、というものだったと思います。

 特許出願の殆どが応用特許であり、まるで無から生まれたような斬新な基本特許なんて、ある分野で10年に一度誕生すれば良い方だ、という説もあります。かように、殆どのアイディア、思いつきは、似た先行アイディアを組み合わせたり少し改変したものだ、という説にも説得力があります。

 かといって、それをランダムに行った結果のうち、意味のあるものはごく僅か。天文学的な組み合わせを人間に見せて、その殆どすべてが無意味なのに、ばく大な時間突き合わせる、というのは全く問題解決になりません。膨大な総当たりから、人間がまともに短時間で見られる候補数の中で、出来れば、3割、最低でも3%くらいは見るに値する、価値ありそうなアイディアが自動生成されなければ道具としての価値は無いでしょう。膨大な数のランダム・コンビネーションをコンピュータに自動生成させてその結果を人間に見させるのは、問題解決=ソリューションではありません。人間の脳には、その苦痛から逃れる巧みな機構が備わっています。「飽きる」という素晴らしい機能です。「飽きる」AIはまだ誕生していないはず。強いAIの研究成果に期待はしているのですが。

 一方、人間には好奇心もあります。「なぜ?」を考え、理詰めで、論理を、有効な方向へ、道筋をたどると、むくむくと好奇心が湧いてきます。そんなときに、解決方法を「思いつく」ことは非常に多いです。論文に整理するときに全然別の解決法を思いつくこともあります。

  結論、最終回答だけでなく、途中のミッシングリンクを探索することもあります。また、無目的なまま、純粋に好奇心を刺激することで、発想を促進する効果もあるでしょう。

 「思いつく」に近い英語フレーズとして昔から自分は、"come up with" をよく使ってました。これは、脳のはたらきの研究、認知科学としてはイマイチですね。同じ動詞でも、何か役立ちそうな考えを相手のところにもってきて提示する、という側面に焦点が当たっているからです。役立つかどうかは、発想の時点ではわからないもの。最初にアイディアを告げた相手がその価値が理解できる保証は全くありません。

 先に、「AIに勝つ!」にも取り上げ、実践哲学の古典としてリスペクトしているデール・カーネギー  "How to stop worrying and start living"  には、他者(相手)に思いつかせろ、という教えがあります。これは、自分はとっくに思いついていることだけれども、人間は自分自身で思いついたアイディアを非常に高く評価しがちであり、責任もってコミットしてくれるものだから、うまくガイドして、相手に思いつかせなさい、というものです。典型的にはセールスのときなど、自分はヒントを出すにとどめ、最後までしゃべらずに相手に思いつかせなさい、と説きます。

 35年前、赤坂で、英語のコースを受けたとき、ちょっと嫌な感じを受けました。上から目線っぽく、また、相手を操作(manipulate)しているのではないか?という疑いがあったからです。また、インテルのアンディ・グローブ元会長が著書"Only the paranoid survive"で強調したように、誰が出したアイディアであってもその価値に違いはないのだから、出自で区別、評価するのは厳禁(だから背後で名前は控えているけれども会議中に「誰誰のアイディア」というのを禁止してました)、という教えにも反しています。全体利益を犠牲にして、目の前の局面だけうまく乗り切ろうとしているのではないか、と。まぁ、こんなに公正、絶対優位を尊重していたから営業で結果を出すのがいまいち得意でなかったのかもしれません。

 ともあれ、意図通りに同じことを相手に思いつかせるには、論理、シナリオが必要でしょう。入力情報、そのどれが相手にとって新情報で、どれが既知情報か、そして、既知情報への評価は肯定的か、否定的かなどの知識を総動員し、軌道を微修正し続けないと、なかなか達成できないでしょう。その相手にとっての新アイディアを思いつかせるのはちょっとハードルが高すぎるとすれば、何かの事実認識や反省点などについて、自分で気づかせるように仕向けるのはもう少し手が届きそうです。罪悪感も少なくできることでしょう。こんな体験を武器に、「思いつく」「気づく」ことの謎に挑むのは悪くないという気がします。


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