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完全自動化はかえって非効率

 こんな研究成果が発表されました:

 将棋などの閉じた世界(完全情報ゲーム)の場合でさえ、人間と機械が共同してーーーいや、意識も意志もない(フェイクは別)AIは、スイッチ入れられて道具として使われるだけですがーーー仕事にあたるときに最強となることがわかっています。最強とは、ゲームなら勝率、一般の仕事なら精度(正確さ)とスピードのバランスに優れ、コスパが良いということになります。ビジネス界での価値は、牛丼のCMのようですが「早い(短納期)」「安い(低コスト)」「うまい(好成績、高精度等)」であり、やはり、人間がAIを道具として使うのが正解です。

 上記研究成果を受けた別の研究者が、「・・・人間とロボットが混合するチームが一番優位となるケースが、将来いくつも存在するという可能性を示している。少なくとも我々の知見からは、過度に失業の心配をする必要はないと言える」としています。そして、「さらに研究チームは、人間と機械の相互作用を成功させるための要件について強調している。多くの企業やビジネスにおいて、意思決定をするのは人間であり続けるので、企業は自動化技術を導入するにあたり、従業員により注意を払うべきだと結論付けた。」としています。

 まさに、その通り。驚嘆すべき柔軟さを備えた人間に最適化され、業務フローが無駄に過度に形式知化されていないところへAIを導入するには、人間の特性、パフォーマンスにこそ注意を払い、研究し、分析することが大切です。だから、「AIに勝つ!」という書籍で、AIと比較した人間の特性を430ページにわたって分析しました。人間の優位性をさらに強化するためのコツ、具体的な方法を詳述しています。
 翻って、AI業界の内部では、専門能力をもった道具かという観点でなく、AIかIAか、すなわち、汎用の強い自動機械としてのAIを作りたい派か、人間の能力を強化するIA派か、という踏み絵のようなものが議論されることがあります:

 正直なところ、自動化率の進んだ道具はいくらでもあるので、自動化志向が「道具ではない」と言いたげな主張はとても非論理的に聞こえます。知性やその量、質を定義もできていないくせに、その総量が人間一人分やら人類を上回る、などにいたっては、占い、宗教のレベルであり、科学、技術の議論の呈をなしていません。シンギュラリティにまつわる議論の殆どがそうです。工学者としては、そのような無意味な議論をすべきでないと考えています。

 私自身は学者としては理学博士、すなわち科学者です。飛行機というのは実はまだなぜ飛べているのかわかっていないところがありますが、工学としてはそれで良い。同様に、何か動けばいい、「なぜそうなるか?」の説明理論(反証可能性のある仮説を提示すること)は必須でないと言われれば、それは科学ではない、と思います。

 もちろん、何か、恣意的な(説明理論による必然性のない)デザインでモノを作り、それがモデルとなって対象の理解が進むことはありえます。「作ることによる分析、理解」という意味で、Analysis by Synthesisと呼ばれます。その期待の現われとして、人工知能的な研究方法による人間の属性(意識やその上位の責任感など)を解明する科学もあり、でしょう。数学的な証明、パーセプトロンの理論限界を重視したM.Minskyの弟子として、また、数理工学を大学で学んだ経験から、理論計算量、必要データ量の小さな機械学習のアルゴリズムを追求することには大いに意義を見出しています。その意味で、東大の杉山将先生を心から応援しています。「AIという言葉を使う人は採用しない」という彼と同様、AI研究コミュニティのバックボーンとして、「鉄腕アトム作りたい派」を傍流に追いやってほしいと時々考えます。

 ビジネス界に身を置く立場としては徹底的に実践者、実務家です。暗黙知をそのままキャプチャーできる深層学習は、たとえ後年、無駄に多くの計算をしていたし精度保証が困難などの原始的なものだったと評価されようが、今日既に非常に重要です。これによって初めて出来るようになった専門タスクが実に沢山あり、人間の作業の一部をなす、不毛な仕事を追放できそうです。繰り返し作業を自動化するマクロプログラム(RPAなど)と合わせて、使いこなしの難しいAIを的確に深層学習等の応用を探り、検証することが目下の急務。産業界の国際競争の焦点といえるでしょう。

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