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旅をしなくなった今年と、来年のこと


最後に旅をしたのっていつだっただろう。



率直に、旅とは自分を探すためのものだと思っていた。何かと出会い、純然たる新しい自分に出会うための。


「自分」とはたった一つの核を持つものではない、という気づきはある1冊の本を通して得たものだ。


自分を変えたい、こんな自分は嫌だという葛藤は誰しもが少なからず経験していると思う。とりわけ私はそういった観念がすごく、すごく強い人間だった。


相手によって態度を変えるのが嫌で、なるべく画一性のある自分でいようとしていた。誰に対しても誠実に。そして、なるべく「ありのままの自分」でいたいと思っていた。


自分でも衝撃的だったのは、高校の卒業アルバムの「目指せ、〇〇!」という一言の欄。クラスメイトが将来なりたい姿や職業を書く中、私は「目指せ、ありのままの自分!」と書いていたのだ。

アルバムを見返すまでは全く覚えていなかったが、当時は相当苦しかったのだなぁと思った。

それ以来、「ありのままでいたい」という悩みは絶えず胸の内にあった。だからこそ平野啓一郎さんの『私とは何か』を読んだときは、まさに「青天の霹靂」だったのだ。


家族に向ける顔と、友だちに向ける顔。
恋人に向ける顔と、見知らぬ赤の他人に向ける顔。

違う人間を相手にしているのだから、それに対する自分もまた違っていて当然。自分とは「確固たる一人」ではなくて、「周囲の一人一人に向けた顔の集合体」と考えるのだそうだ。

全員に同じ顔をしているよりも、その人に向けた顔を深化させていくことで親密になれる。逆に誰に対しても当たり障りなくいると、一人一人と仲良くなれない八方美人と思われてしまう。

自分は、間違いなくその八方美人だった。自信がないゆえに自分について話せず、相手のことを知りたくても一歩踏み込めなかった。

自分を「変える」ということに長い間囚われ続けてきたけれど、本当はいろんな人や環境と出会う中でそれぞれに向ける顔が「育って」ゆくものだった。

そう思うととても気が楽になった。「ありのままの自分」というたった一人を探す生き方を、そっとしずかに手放すことができた。


それがこの秋のことだった。





そうしたら、途端に家に居着いて外に出なくなった(笑)
なんでやねん、とベタなツッコミが思わず自分でも出てしまう。

なにせ「自分を探すこと」以外の旅の目的を知らなかったから、旅の必要性がわからなくなったのだ。案外「自分を変えたい」という気持ちは行動力の源でもあったらしい。

それを失った今、行ってみたい場所もそこでやってみたいこともなかなか思い浮かばない。一人で旅立ち、見知らぬ土地を歩くイメージが全く湧いてこないのだ。


でも、今年一年を振り返ってみると、あまりに地元に居すぎたなと。

いやそれはそれで地に足をつけて生きてきた証だからいいんだろうけど、来年はすっかり定着した生活のテリトリーを、ちょっぴりはみ出してみたいと思ったのだ。


思っただけで行き先はノープランだけど、ひとつだけ行ってみたい場所がある。「蚤の市」だ(ついさっきまで蚤、を蚕だと思っていたのは内緒)。

遠い異国からやってきたアンティークの雑貨、家具、古着なんかが立ち並ぶ青空の下のマーケット。きっと穏やかな、しかし活気に溢れた場所なのだろうと想像しただけでわくわくする。

大量生産が容易い現代だからこそ、どこからか受け継がれてきた古いものに惹かれる人は多いのだろう、私もその一人なのだと最近になって気づいた。

偶然にも職場の近くにアンティークショップがあって、前々から入ってみたいと思っていた。けれどきっと高価なのだろうと躊躇して、半年以上は行かないままだった。

なかなか入る勇気がなかったそこに、えいっと初めて飛び込んだときの喜び。それはもう、嬉しいったらなかった。「憧れ」を「経験」として、自分の一部にできた瞬間だったから。


アンティークに惹かれるのも、結局は自分を探したい気持ちの顕れのような気もする。

でもそれは自分を変えたいからではなくて、自分の心の声に素直でいたいからなのだと思う。興味のあること、知りたいこと、ほしいもの、その集合体こそが自分なんだと思えるようになった。



自分は、変わってゆくものだ。変わりたくないと思ったとしてもずっと同じではいられない。周りの人が、環境が、社会が変わってゆくから。

それならば変化を楽しめる人でありたい。出会いを、時にくる困難を、恐れながらも受け止められる人に。


旅はきっと、自分を探す苦しいものではなかった。やってみたかったことに手を伸ばし、その中に自分の変化を見つけて、喜ぶものだったんだろうな。

それに気づけた2023年。2024年は、どんな旅に出かけようか。

まだ一つしかない旅の行き先が、今年が終わる頃にはもう少し増えているといいな。


そうして旅に出ることができたなら、またnoteに記していこう。自分だけで旅を追い求めるのではなくて、noteを通じて誰かの旅のこともまた知っていきたい。

そうやって私と誰かの旅が、この場所で少しでも交われたらいいな、そう願いながら。




今年もお世話になった皆様、
また今年初めて出会ってくれた皆様、
総じて本当にありがとうございました。

来年もnoteを、言葉を通じて、皆様と楽しくやわらかく、関わることができたら幸いです。


まだご挨拶には早いかもしれませんが、
どうか、来年もよろしくお願いいたします🐉



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