見出し画像

土地に刻まれた時の流れを教え、歴史が埋め込まれた地図、そこには私たちの出発点があります──大田稔『重ね地図シリーズ 東京 マッカーサーの時代編』

東京は、明治維新で大きく変わり、その後も関東大震災、東京大空襲、戦後も東京オリンピック等でしばしばその姿を変えてきた街です。道路の拡張、新ビルの建設、地下街の拡張と今でも変化をし続けて、しばらく行かないと今でも風景が一新されていたりして驚くひとが多いのではないでしょうか。

この本は昭和の戦前の地図の上に、トレーシングペーパーに印刷した現代の地図を重ね合わせたものです。この東京(とその近郊)はマッカーサーの時代のもの、すなわち占領が始まった時の東京のものです。

この本の特長は地図の重ね合わせだけではありません。
連合軍の反撃、本土空襲を「占領政策の火蓋がきられた」時とし、東京大空襲の被害地図、アメリカの本土上陸作戦の予想展開図など戦史上も興味深いものがとりあげられています。
さらにまた今話題の映画『日本の一番長い日』に描かれた宮城事件の関係地図も時系列の表とともに取り上げられています。さまざまな視点で語れた終戦前後から占領期のドキュメントが この本の後半を占めています。つまり図解終戦記、図解占領期とでもいえるようなものになっています。

厚木に到着し横浜経由で(車両の並び方まで紹介されています)東京へ着任したマッカーサー。また、彼と相前後するように日本全国に展開した占領軍、その出来事も見事に図解されています。

コラムにも豊富な図解が収められています。戦後の象徴ともいえる闇市がどこにあったのか。鉄道はどうなっていたのか、かつては都民の足だった路面電車(都電)はどうなっていたのかなどが丁寧に紹介されています。

収められたコラムの中でも進駐軍の住まいに触れた「接収の決め手はトイレだった?」という指摘には思わず笑ってしまいますが、その直前の指摘「なぜ沖縄は右側通行に」には考えさせられました。
「日本降伏後、占領軍は日本に上陸したものの、まず進駐時に注意することとして「日本では車は左側通行」だということをあげている。そして、占領期間中、アメリカ本国の様に「車は右側通行」になおすこともなかった。しかし、沖縄は右側通行に変更されたのだ」
このコラムの筆者は「アメリカは沖縄だけは「保障占領」などとは思っていなかったのだ」とし、グアム、サイパンと同様に沖縄は「領有し続けるつもりになっていたのかもしれない」と推測しています。きわめて興味深い指摘です。沖縄をアメリカがどう見ていたのか、その時の日本政府はそれに対してどのような態度・方針をとったのか、何度も考えて見る必要があると思います。

この本の特長はあと二つあります。
一つは別冊として編集された「記憶薄れ、語られず、教えられず……日本占領の正体」というものです。ここでは11人の執筆者が映画について、音楽について、それらが占領下でどのような意味を持っていたか、持たされていたかを分析しています。また占領下を象徴する犯罪やラジオの意味合いなど、社会・文化的分析も丁寧に記されています。映画では「占領期に黒澤明の才能は花開く」という指摘やのちの脚本家、笠原和夫さんの話などは占領下の明暗を象徴している話のようにも思えました。

もう一つのこの本の特長はWEBでこの本の続きを展開しようというところにあります。その意図をこう記しています。
「今日のわれわれの生活の枠組みの原点である「GHQによる日本占領時代」は何だったのかを「事実」に基づいて深く考えなければなりません。ある特定のイデオロギーの押しつけや、何でも自分が悪いとする自虐や、日本こそ優越しているとする自尊の感情に導かれた思い込みや未熟な駄々っ子的な開き直りを排さなくてはいけません。それでは、本当の歴史的な真実「歴史の女神」が指の間からすり抜けるのを許してしまいます」

土地に刻まれた時の流れを教え、歴史が埋め込まれた地図、そこには私たちの出発点があります。そして現在点の今と重ね合わされた2枚の地図の間に思いをこらすことで発見できるものがあるのだと思いました。

書誌:
書 名  重ね地図シリーズ 東京 マッカーサーの時代編
構 成  大田稔
編 集  光村推古書院
地図製作 株式会社地理情報開発
出版社  光村推古書院
初 版  2015年6月12日
レビュアー近況:東京音羽、8月とは到底思えない気温で、上着を羽織ってます。扇風機すら廻さない夏の終わり、デス(終わるのかなぁ?)。

[初出]講談社BOOK倶楽部|BOOK CAFE「ふくほん(福本)」2015.08.25
http://cafe.bookclub.kodansha.co.jp/fukuhon/?p=3970

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?