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ばぁちゃんありがとう

祖母が他界しました

先日、山口県に住む祖母が他界しました。100歳近くまで生き、老衰で亡くなったので大往生でした。
仕事の都合で葬式に参加できなかったのですが、どうしても顔だけ見たいと思い、新幹線に駆け乗り5分だけ顔を見てとんぼ返りしてきました。

私が子供の頃、毎年夏休みになると1週間ほど祖母の家に遊びに行っていました。兄と親戚のお兄さんたちの合計4人でミニ四駆をしたり、祖母の家の襖に穴をあけまくったりして遊んだ記憶が懐かしいです。
よく怒られました笑

祖母は呉服屋さんを自営していました。自立心が高い方で、頭もとても切れるタイプでした。幽霊屋敷のような呉服屋でしたが、遊びに行ってたくさん話をしました。どんな話をしていたかは、今は覚えていませんが、昼になると近所のラーメン屋さんでご飯を食べるのが恒例でした。

祖母は私の1番の理解者で、私が教員を目指し始めた時も、あなたなら良い先生になれると応援してくれました。
私は母との関係性があまり良くなかったのですが、そのことについても理解いただいて寄り添ってくれていました。

そんな祖母が私はとても大好きでした。
たまに大阪に遊びに来てくれた時は、率先して祖母の荷物を持って一緒に歩きました。

自分が大人になる頃には、認知症を患い、徐々に私のことを認識できなくなっていってましたが、それでも健康に過ごしてくれているのが何より嬉しかったです。遠隔地に住んでいることや仕事の都合でなかなか会いに行けなかったのが残念です。

もし今日死ぬなら今日やろうとしていることを本当にやるか?

自分の父が5年前に他界し、しばらく身近な人の死に触れる事はありませんでしたが、久しぶりに死を身近に感じた日でした。

スティーブジョブズは「もし今日死ぬなら今日やろうとしていることを本当にやるか?」とスタンフォード大学でのスピーチで述べています。

この言葉は、自分の心に素直に耳を傾け、他人の評価を気にせず、自分のやりたいことを本当にできているのかの問いです。
私は経営者なので、自分がどのように働きたいか、どのように生きていきたいのか、ある程度決定権を持っています。ただ、時に他者からどのように見られているのか気になります。弱い自分が出ることもよくあります。

でも、一度しかない人生です。もし今日死ぬとしたら、後悔して死にたくないです。死ぬ間際は「おれやり切ったな。みんなありがとう」と思って死んでいきたいです。

無我夢中に生きよう

無我夢中とは我を無くし夢の中と書きます。そのままですね笑
5歳の息子を公園に連れて行くと、ずっと休憩せず遊んでいます。一緒に遊んでいる私の方が先に疲れてしまいます。
大人になって、いや、おっさんになっていくにつれて、一つ一つの行為に必死になることが少なくなってきているように思います。
でも、それって後悔しない生き方なのかな?なんて思ったりします。

私は学校の先生達の1番のサポーターとして
研修や先生シェアハウスをとおして
誰もが「わけわけ」したくなる環境をつくり、教育から社会を明るくしたいと考えています。

そのために、もっと無我夢中で生きていきたいと思います。

最後に
「ばぁちゃんありがとう」

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