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言葉にすることを焦らなくて大丈夫。

わたしたちは毎日見る、という行為によってのみ自然と親しくなれます。

それに、意外な生き物と出会った偶然を大切にして、一部始終を見守ることです。

そうすれば、いつかは自然のつながりを言葉にできる、と信じることができます。

https://www.amazon.co.jp/わたしの山小屋日記「春」―動物たちとの森の暮らし-今泉-吉晴/dp/4846011437

これは、山小屋暮らしをしている、今泉吉春さんの言葉です。

この言葉は、私にとって本当に衝撃的でした。

何に衝撃を受けたのかといいますと、
日々、自然を見守ることで、それがいつかは言葉になる、という点です。

私は、”自分の気持ちを言葉にできること”、”好きなことを言葉にできること”を、
自分を守る手段として、捉えてしまっていて、

というのも、今まで、他の人の意見に合わせるばかりで、
そのせいで、どんどん自分の気持ちがふくれあがり、
そのパワーが、今度は逆に自分を攻撃するようになり、
自分に自信を無くしてしまっていたため、

自分の自尊心を守るためにも、「ちゃんと、自分を言葉にできるようにしなきゃ」という焦りを抱えてしまっていました。

そして、短絡的なのですが、自分の気持ちを言葉にするためには、本を読まなければ、と思うようにもなり、

何もかも、自分がしようと思うことは、自分を、他人にないがしろにされないように、守るための手段でしかなかったんじゃないか、と思います。楽しむためではなく、です。

けれど、今泉さんは、じっくり、毎日、自然を観察して、自然と触れ合うことによって、一冊の本にしきつめられるほど、言葉があふれでるようになった。

今泉さんは、森を”自然の図書館”だとも、おっしゃていました。

私も、文章から、自分を表現する手段を探すほかに、

今泉さんみたいに、もっともっと自然をじっくり観察することからも、言葉を探してみたいな(言葉になるのを待ちたい)、と思います。


今日は、友達と水族館に行ってきました。

友達が、カメラを持ってきていて、その子は、高校時代に写真部に所属していたのもあって、カメラについて詳しかったのですが、

そのカメラを貸してくれて、撮らせてくれて、
帰りに撮った写真を、現像までしてくれて、本当に楽しかったです。

撮った写真を眺めていると、満足感でいっぱいになって、
なんとうか、自分で描いた絵を、にかにか見ている感じ、その写真に
特別感も感じて…。

写真を撮っているときの感覚を思い返すと、
目的の対象に、ぎゅーーーーっと、目がしぼまって、本当に、「捕らえる」という感覚になって、

肉眼ではとらえられない、ペンギンがまどろんでいるその表情や、細かな毛並みまでも見えるようになって、なんだか、すっごく感動しました。

私も、ゆっくりカメラを楽しんでみたいと思います。








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