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「好き」の落とし穴【夫婦のこと】

いい歳をしたオジサンが「好き」ということを真面目に語ってみます。
(好きが沢山出てきてお見苦しいですがご容赦ください。)

昔と違って今の結婚のほとんどが恋愛結婚だと思います。好きになった人が自分のことも好きで、その想いを確認して添い遂げようと結婚。その1/3もが別れる、何やら違ったそうです。

何が違うのでしょうか。好きな頃と変わった、好きじゃない部分が見えた、そもそも好きが勘違いだった、何にせよ好きじゃなくなるらしい。

こうなると「好き」と「好きで居続ける」ことは似て非なることなんだと思います。好きになったのだからとそのまま続いていくような簡単な感情ではないのかもしれません。

「好き」そのものは簡単ですよねと私は思う。嫌いな人やそうでもない人を無理やり好きになるのは難しいですが、自然と好きになる分には簡単です。というか何の努力も要らない。気がつけば好きな訳で相手の気持ちはさておき、自分の「好き」は難なく手に入っています。そこに相手も好きだとなれば有頂天です。世の中、思い通りかと錯覚してしまう。なんせ自然の成り行きですから、自然と幸せになれた訳ですから…

ココが大きな問題のような気がします。何の努力も要らずに時間を掛けた覚えもなく気がつけば簡単に手に入ってしまっている「好き」という気持ち。だからこそ少しでも違うと思えば今度は簡単に手放してしまうように感じます。また次も手に入る、他にもっと好きになれる人がいるはずだと思ってしまうのかな。好きという気持ちがもう少し手間を掛けて得る感情だったら、手放すことにも迷い躊躇うような気がします。実際に別れる時の話をしているのではないですよ。好きじゃなくなる、気をつけていないとそうなってしまい易いという話です。

「好きで居続ける」は「好き」ほど簡単ではないけれど、そんなに難しくもないと思います、そもそも好きな訳ですから。ただ放ったらかしにはせず、ちゃんと好きだと日々想うことだけだと思います。結婚までしたいと思った人の昨日と今日はそうは変わらない。少し変わったとしても好き、違うと思う部分も好き、勘違いでもいいから好き、そうやって続けた夫婦の日々が簡単には手に入らない感情を芽生えさせてくれるのだろうと私は思うのです。

こんなに長々と、お耳汚しな話はここでしか出来ません。だから妻のことを聞かれたら私は、いつも簡単に「好き」だと答えます、いい歳をして…

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