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回想録:ポケットモンスター赤

現在エヴァサガと並行でプレイしてるポケットモンスター赤のVC版。購入はだいぶ前ですが、半端に進めていたものを再開しようと思い立ち、今年購入したNew2DSのモンスターボールエディションで起動しました。

この見た目でポケモンで遊んでいると満足度が上がっていいですね。良い買い物をしたと思います。

さて、自分はポケモン流行の真っ只中に初代を遊びました。同世代では皆がゲームボーイを持ち寄り、交換や対戦したことを思い出します。今でこそ考えられないかもしれませんが、重い、ゴツい、小さくてモノクロの画面のゲームボーイは当時のマストアイテムでした。

GBの世代交代のスピードも早く、スーパーファミコンと合体できる「スーパーゲームボーイ」が出て、薄型の「ゲームボーイポケット」が出て、色付きの「ゲームボーイカラー」が出てと、目まぐるしい変化をしていました。一段最新のGBを持っていた子は、ちょっとした注目の的でした。

当時のポケモンの求心力は、ちょっと不思議なものがあります。スーパーファミコンからプレイステーションの世代交代の時期であるにもかかわらずブームは数年続きましたし、あとから入ってくる子たちも参加できるほど長く広く続いたと思います。普段話さない同級生とその話題で話したり、通っていたスイミングスクールで住んでいる場所も違う子と話したりと、一種の大きな共通体験でした。

有名な裏技も、確かスイミングスクールで覚えたものだったでしょうか?「レベルが100になる」「ミュウが出現する」「ケツバンというポケモンが存在するらしい」など、裏技のウワサはいつの間にか広がりました。失敗してカセットが壊れたという話も、ある種のホラーとして広がっていったはずです。

「ゲームを与えると、子供が外で遊ばなくなる」という言説があります。しかし実際のところ、子供達はゲームボーイとポケモンを手に入れたことで、むしろ外に遊びに行く理由を得ていました。子供とは奇妙な生き物で、わざわざ外にあるベンチでゴロゴロしながら、またはブランコに乗りながら、ポケモンを遊ぶのです。なんでそういったことをしていたのかは、自分も含めほとんどの人が覚えていないでしょう。ただ、そういった遊び方は開放感に満ちていた気がします。

自分とポケモンとの別れはあっさりしたもので、あまり馴染みのない同級生にカートリッジ貸したまま、二度と戻ってきませんでした。いわゆる借りパクです。実はそのデータ、一度ミュウ以外の150匹が図鑑登録されていました(その後データを消したかもしれませんが)。頑張って図鑑を完成したにもかかわらず、簡単に手放し、貸したら戻ってこないのかと残念に思いながらも納得してしまう。そんなのは自分だけかもしれませんが、この思い入れの薄さもまた、ポケモンの不思議なところなのかもしれません。

そんなことを、2018年の現在に思い出してしまいました。当時の空気感、記憶、そのすべてが小さな画面で行われた体験に紐付けられて蘇ってきます。あの日子供達へもたらした小さな革命は、今でもなお、自分の中で生き続けているのかもしれません。


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