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【雑記】インターネット「火の時代」の終わりに

ノンジャンル人生です。
4月1日にあらたな元号「令和」が発表されました。平成を生きてきた人間としては、時代の変わり目を見れて感慨深く思えます。

平成を振り返ってみると、まさにインターネットが普及するまでの始まりの時代だったと思います。特に自分たちの世代は、ダイヤルアップ接続の頃にパソコンを知り、ブラウザゲーやFlashでハマり、mixiで交流し、ニコニコ動画に慣れ親しみ、Twitterに居着き、今やネットなしでは生活も仕事も遊びもままならないほど深く関わってきました。

やはり一番大きな影響を与えたのはiPhoneの出現で、以降スマホが世の中を塗り替えていったことは劇的でした。あと、印象深いのは2011年のエジプト革命。それまで知らなかった世界が中継され、その中でインターネットが変革をもたらす様子がリアルタイムで映し出されていく光景に釘付けでした。

そして、東日本大震災。
孤立した世界から外の情報のやり取りができたのはインターネットのおかげでしたし、あの閉塞した空気の中で楽しみを与えてくれたのもインターネットでした。

一方で、インターネットはつくづく無法地帯であったと思います。ルールがない故に、悪質で人道に背くような行為に法が機能せず、理不尽に苦しむ人、それを見て萎縮する人、そこから守りたいがために勝手に作られるローカルルール、対抗するがために怒りに任せて攻撃する炎上、炎上をコントロールして儲けようとするフェイクニュース……。特にここ数年はSNSでそういったものが可視化されたため、非常に息苦しさを感じました。

ここ1年仕事で携わってきて思うのが、間違いなくバーチャル世界が今後やって来ることです。しかも、予想よりも早く、リアルを浸食するはずです。

VRデバイスはゲームのためのものに留まることはなく、遠く離れた人とのコミュニケーションであったりとか、ライブをより近距離で体感するためのものとなったりとか、より世界の距離を縮めるためのデバイスになると思っています。平成の終わりにVTuberが流行ったことは偶然ではなく、仮想世界でどう生きるか理解するための、橋渡し的な存在となるのではないかと思っています。

だからこそ、インターネットで活動する人格を守るための手段が今後必要になってくると思います。法やルールを作れば萎縮するとの考えもあるとは思いますが、法がない故に攻撃に晒されることに怯え、勝手にローカルルールが作られることの方が、よほど萎縮すると思っています。

ただ…現在世界を覆う規制推進思考は、人種性別で分け隔たりのない社会を謳う一方で、多様性を否定して統一的人格を求めようとする声が大き過ぎて恐怖を覚えます。もし、インターネットで法が必要なのであれば、それこそ多くの思想や文化を吸収し、人がインターネットでどう生きていくか、長い時間をかけて考えていかなければいけません。いまのままではダメなのです。

平成の時代は、良くも悪くもヒトがインターネットという“火”を使い始めたの時代でした。火によって暗闇を照らしたと同時に、火によって多くの人が傷ついてきました。

願わくば次の時代は、誰もが穏やかに生きる選択が出来るインターネットを。

それでは。

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