終身計画

愛せる自分になりたい。自分を好きになりたい。


とてもこう思うんだ。ここ数年特に。

でも、自分のことを好きになるってすごく難しい。私にはね。


「自分だけは自分を愛してあげなくちゃ。」「君はもっと自分のこと好きになりなよ。」「自分を好きになることがまず第一段階でしょ。」

いろんな人に言われたなぁ。言われるたびに、貴方は強いなぁって思ってしまう。少なくともそう思える強さを私は持ち合わせていない。

最近はついに、自分の心の依代になるような「心からの好き」が何も無いことに気づいてしまったんだ。どれも、そこそこに好き、ばっかで。



私は基本的に自分が嫌い。虚構の自分だけ辛うじて認められる。虚構っていうのはわかり易い例だと自撮りとかかな、最近の自撮りアプリは盛れるから。あれは自分であると見せかけて全く自分ではない。

薄志弱行だし怠惰だし自分に甘いし自己管理下手だし現実逃避ばかりしてる上に夢ばっかり見てるし、我慢が出来ないし面倒臭がりだし容姿も壊滅的までとは言わないけど全く良くはない。夜遊びして自分を安売りしてた過去も吐きそうなぐらい嫌い。

なんか全部同じようなことの羅列だな。



自分のことを嫌いになったのは中学生か高校生ぐらいの頃。贅沢な話だけど、私は小学校の時めちゃめちゃ出来る子だった。静岡県の田舎で育ったけど勿論ずば抜けて優秀だったし、横浜の塾に週一回遠出して参加してたけれどもそこでも割と上位に入ってた。知る人にはお馴染みSAPIXって塾なんですけど。

算数の偏差値は72とかあったし理科も68とかだったかな。社会が65とかで、国語が足引っ張って60前後。最終的には63ぐらいまで引っ張り上げた気がする。

出来る子だったのは事実なんだけど、私は要領が悪いらしく、人の2倍3倍やって、その結果人よりちょっと勉強が「出来る子」だったみたい。そして私はその肝心の勉強の仕方を知らなかったんだ。そのことに気づいたのが高校二年生とかかな、遅すぎて笑える。


私に中学受験の手解きをしたのは東京大学理系学部出身の父。朝公文式(計算問題)をやって(祖母が公文式の先生をしている)、夕方に問題集を解いて、父が帰宅したら丸つけをしてくれて、寝るまでその直しをする。

国語算数理科社会、4科目全部面倒を見てくれた。

泣いたりしながらも必死に食らいついて鬼のように勉強した。当時の感覚だと勉強したというより、タスクをこなした。

でも当時はそれが楽しくて、結果も数値で現れて、受験にも全部成功して、私は自分が出来る子だと思っていた。


中学に入ると父から小学生の頃のように勉強を教わることはなくなった。英語は手助けをしてくれていたが他の勉強に関しては一切関わらなくなった。

しかし私立中学といえど最初の1、2年間は中学受験の知識で乗り切れる。私は勉強をしなければいけない状況に中学校3年生まで置かれなかった。

成績は右肩下がりだった。1年次は10段階評価で平均7(それでも7。今考えると勉強貯金だけで良く7が取れたものだ。)あった成績は6,5、6,2と下がっていった。

わかり易い指標として、6を切ると留年の可能性が出てくる。5.5以下はほぼ確定で留年。先生の慈悲にかかっている。

私は勉強をしないとダメだ。そう思ったのが中学三年生の時。その頃部活もノッてなくて、全然上手になれなくて嫌気がさしていた。自分の不器用さに泣きたくなった。同期で1番下手だったし、後輩よりも下手だった。

そして私は画像の挿入を覚えた。


そのままズルズル成績を落としながら高校生に上がって、2年生でついに留年した。はわわわわ。

勉強してなかったことを親に指摘されて、勉強の仕方を知らないことに気がついた。正確に言えば、自分が理解できるための自分に合った勉強方法を知らなかった。

やらされてやるものは勉強じゃない。自主的に動けなければならない。


それに気がついてしまってから、自己嫌悪はヒートアップした気がする。

留年して学年が下がると友達を新しく作らなければいけない。クラスにはなんとか溶け込めた(溶け込ませて頂いた)が、友達と呼べる友達は5人ぐらいしかできなかった。

実はその前の5年間でも友達はほとんどいなかった。親友3人、同期7人、あと友達10人いればいい方。

誕生日を祝いあう友達なんて5人もいない。

すごく惨めだったし、廊下を歩けば留年した人だって囁かれている気がして。。。明るいクラスだったことに何度も救われた。


私が友達を作るのが苦手なことは大学に入って痛いほど感じた。

入学式の日にはみんな誰かと一緒で1人なのは私ぐらいなんじゃないかと思ったし、ガイダンスをひとりで回ってるのも私だけのように思えたし、知り合いは知り合いと歩いてて私と一緒に歩いてくれるような友達なんてひとりも居なくて、内部進学者で知り合い多いから余裕だよとか言ってた元同輩の誰かを問い詰めたかった。

サークルにも馴染めなかった。

馴染みたくて6月公演に参加したのだけれど、私だけ浮いてた気がする。客観的に私がどう見えてるかは知らない。ただ私が嫌いな私が、嫌いな私を俯瞰的に見た限りでは全く馴染んでなかった。うち1人からは嫌われてるなって普通に思う。その子そんなに嫌いな子とかいなさそうに見えるんだけどね。悲しいね。

企画に参加することで必死に居場所がある自分を作り出そうとした。最近はそれにも疲れたのでサークルの人が集まる場所には極力行かないようにしている。定例会とかはちゃんと行くけど。

みんなが親友って呼べる友達を作ってる間に、私は知り合いを作ることで精一杯だった。クラスにも友達を1人作るので精一杯だった。まぁクラスに私とその子しか女の子いないからね。その子は男の子達とも仲がいい。


気づいたら、居場所を作り出そうとしてサークルにのめり込みすぎた代償として中高以来の友達と疎遠になった。中学から上京(?)したので小学生の友達なんて当然連絡も取らない。6年間一緒にボールを蹴った仲間とも顔見知り程度の関係まで戻ってしまった。

私に全ての原因が多分あるんですけどね。


自分は勉強と友達作りが出来ない、という認知は自己嫌悪を加速させるのに十分すぎるトリガーだった。

自分を見つめ治せば治すほど、自分を知れば知るほど、自分の周りの全ての不都合は自分の怠慢であったり油断であったり驕りであったり甘えであったり、そういうものから来てることに気づいた。

そして、知る度に、知りたくもないのにそれを認知させられる度に、どうしようもなく身を放り出したくなる。


最初に書いたけど、わたしは虚構の中の自分は嫌いじゃない。だから、自分で作り上げようとしたサークルに馴染んでる私っていう像を描く中で親しくなった同期はちゃんと好きだし友達だと思っている。日本語わかりにくいね。ニュアンスが伝わればいいや。

ただ、現実の私がそれを冷静に見た時に、向こうもそう思ってるとは限らないんだよなっていつも思ってしまう。




最近、自分が突然死んだ時のことを考える。

自殺か他殺か。自然死か薬死か変死か。

場所や時間は。最後に何考えてるのかな。


誰か私の死を心から悲しんでくれる人はいるのかな。


あぁ、誰も思い当たらないね。本当に思い当たらないんだ。

あ、でも、あの中学からの唯一の親友3人は泣いてくれるかな。泣いて欲しいな。

大学からの知り合いで泣いてくれる人は一人もいない気がする。私が好きでも相手は私を好きとは限らないからね。

死んじゃったって。え、まじかよ。そっか。。。なんか信じられねぇな。。。

そんな会話があって、少し重い空気が流れた後に、みんなスマブラでもするんだろう。そして三日後には全部忘れられてるんだろう。

私じゃなくてあの人が死んだらこうはならないよな、とか思うともっと悲しくなる。私以外のみんなは誰かしら心の友がちゃんといて、慕ってくれる人がいる。少なくとも私からはそう見えてる。


だから最近少し考える。

どんな死に方したらみんな一瞬私を見てくれるんだろう。

やっぱりまずは友達、ちゃんと両思いの友達、作らないとな。

あとは私が肯定的にならないといけないかな。今のところ声は嫌いじゃない。

でも、それについてポジティブになるにも、やはり他社が必要だな。友達。作ろう。すれ違った時とかに、挨拶とか、話しかけて貰えるような存在になろう。


私が1番苦手で向いてない事なのにね。


お葬式ではせめて誰かに泣かれるような人になりたかったな。



p.s. 俺とお前は、ちゃんと両思いのダチだぞって言ってくれる人、私にそれを言ってくださると気持ちが肯定的になります。NEWフレンズも半永久的に募集中。

でもこれで誰からも言われなかったらまた私はやっぱり死にたくなってしまうんだろうな。


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