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勝沼ぶどう郷(2)景徳院

天正10年(1582年)武田信玄の息子の勝頼公一族は織田 徳川連合に敗れ、自害した最期の場所です。

武田勝頼と家来たちの魂を弔うために徳川家康が景徳院を建てました。

勝頼の霊廟があります。

武田勝頼公霊廟の石碑
山門
本堂
鐘楼

崖の下の方に武田勝頼のお墓がありました。

没頭地蔵尊

武田勝頼37歳
北条夫人  19歳
息子信勝 16歳
と書かれていました。

辞世の句碑

勝頼公

おぼろなる
月もほのかに
雲かすみ
はれてゆくえの
西の山の端

北条夫人

黒髪の
乱れたら世そ
はてしなき
思いに消ゆる
露の玉の緒

みそはぎ

萩の花がさいていて、落ち着いたお寺でしたが、武田勝頼のお墓が、小さくて、崖にあつて、驚きました。

恵林寺の武田信玄のお墓が立派だつただけに可哀想でした。

つづく

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