見出し画像

8/15 厳しく縛る

少し前に大阪にて、太陽の塔に入った。
良い体験をしたのでその気持ちを持ち帰りたく、土産屋を覗くもどうにもピンとくる物が無い。
人を待たせていたので、嫌いでないデザインのステッカーと嫌いでないデザインのピンズをあわただしく買ったが、いまだに部屋で持て余している。
気持ちを持ち帰るために持ち帰る物を、未来で有効に使えたためしがない。
部屋のどこかで、記憶と一緒にくすみゆく。

信用することはできても、信頼することはできない。
目の前のこの人は嘘をつかず本心を話してくれていると思うことはままあるが、その本心がこの先も保証されることはないと感ずる。
その場で信を用いることはできても、頼り信じきることはできない。
まあ、大抵の人が、そうか。

現で人と繋がっている時間はその人の時間を貰っているということ、その時間をその人は他のことに使うこともできた、その可能性の芽を自分が摘んだということ……。

ライブハウス行きたいな。
自分がメチャクチャに殺される想像は、いつでも気持ちがいい。別にそこまで自分が嫌いってことないけど。
誰かが夢に出てきた。誰だったか誰だったか。読みたい小説を書き留めても全く消化せず、違う本を読みはじめてしまう。映画も然り、観たいメモを差し置いてわけわからないB……C級映画を観て、1週間の鑑賞ノルマ1枠消費してしまう。だらだら映画ばっか観るのもだめだし、どんな生活や理由があれ新しい事を知らずに1週間を終えるのもだめ。というようなノルマを色々自分に敷いて生活している。休日は特に、時間割に沿って生きている。決められたルールの中で暮らすのがとても嫌いで苦手だとずっと思っていたけど、あくまで決められたルールの話で、自分で決めたルールの中であればむしろ快適だとごく最近気づいた。自分をルールで厳しく縛るのは好きだ。人にされるのはものすごくものすごく嫌だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?