晒し合い

以前、なんとなく短歌をつくってみては、スマホのメモに溜めていた時期があった。(いくつかは、noteでも載せている)

大学の頃、俳句をつくる授業があったり、小学生の頃に俵万智さんが学校に来て授業をしてくれたりということがあったので、なんとなく俳句や短歌を含めた詩全般への親しみはあったが、日常的に書いてみたのはそれが初めてだった。

特に理由があった訳でもなく、なにかを残してみたくなったけど、文章を書くのは大変億劫なので文字数が少ないものに行き着いたのだと思う。(だけど575だと収まらなかったので、なし崩し的に短歌になったのだろう)

だれに見せる訳でもないものなので、その後数年間に渡り、このnoteで一部を公開した以外には外にも出さなかったし、リアルな知り合いにはとても見せられないなと思っていた。

だけどこの間、前職の先輩と飲みにいったとき、気づけば短歌を見せていた。それはもうノリノリで「見てくださいよー!あっでも、やっぱり恥ずかしいな〜!でも見せちゃう!!」と恥も外聞もなく見せつけていた。(「恥ずかしい」と言いながら、恥を晒すのはなんだか面白い)

それには、人柄も感性も信頼している相手だったからというのもあるし、お酒が入っていたからというのもあるし、ダウ90000の公演を観た後だからというのもある(これは大きいはず)。

だけど、それでも自分の「恥」であるはずのものを、リアルの知り合いである他人に見せていたのには人間的な成長なのか鈍化なのか、何かしらの変化は感じ得ない。

ここまでだったら、「歳をとって恥ずかしいことを見せるのも、なんだか大丈夫になったね」という話でしかないのだが、僕が短歌を見せると先輩も大学生の頃に書いたというエッセイを見せてくれた。

当時好きな相手を想って書いたというそれは、とても「若者」が詰まっており、それはもう最高だった。が、当の先輩はやはり少し恥ずかしそうにはしている。

こんな風に、互いの恥を晒しあえるというのは、なんだか犬がお腹を見せる行為みたいでとても愛らしいなーと感じると共に、この人と仲良くなれて良かったなと感じながらその日は家に帰っていた。

今も、いつか先輩に見せようと思いながら、せっせとメモに短歌を溜めている。
そんなこの文章も、いつか先輩に見せるのだろうか。
きっと、へらへらしながら見せるのだろう。

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