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”行かないと”、でも”行かれない”学校

学校始まって2日目にして、次女は吐き気と頭痛にさいなまれながらの登校になりました。

これ、学校休むと10時までには回復する症状で、神経性のものだってよくわかってる。
一学期もこんな症状が出てて、1週間に2度くらいお休みしてました。

うちから学校までは見える距離。
そんな短い通学路を、うずくまったり休憩しながら時間をかけて登校する。
付き添ってるこちらとしても、「行かなくてもいいんじゃない?」という気持ちがないわけじゃない。

「保健室で寝てていいから、学校には行くだけ行こう。」
そう声をかけるには訳がある。
それもいくつか。

まず、当人が学校は行くべきだって思ってるってこと。
だから、前日に宿題はやる。
翌日学校で怒られたら嫌だから。
それに、将来の夢もある。
そのためには勉強が必要なのも知ってる。
学校は行かないわけにはいかない場所、そういう認識になってる。

それと、休み癖が付くと楽なほうに流されやすかったり、いざ登校した時にクラスになじめなかったりして当人が辛いってことを私も当人も知ってる。
一年生の時、初っ端に病欠で数日休んだことがあって、その後教室に入りづらくなってしまったことがある。
「みんな仲良くなっちゃって入る余地がない。」
って気持ち、一年生だったからなおさら寂しくて居場所がなくて、しんどかったんだろうと思う。
復活するまでに1か月は要した。
これ、3年生だから大丈夫ってわけじゃないんだよね。
勉強が遅れたり、友達の話題についていけなくなったり、そういうことがしんどくなっていく。
だから、次女の『行かないと』の気持ちが分かる。

それと、大人の事情。
働かないといけない。
勿論子供は心配。
でも、生活するにはお金がいるんだよね…
発達に障害のある子はお金がかかる。
少しでも、お金が欲しい。
次女は一人が不安で苦手。
危険認知も悪い。
こういう子を放って、働きに行くことは難しい。

最後に、本当なら

「もういいよ、そんなにしんどいなら学校行く必要ないよ。」

って言ってあげたい。
だって、そんな思いまでして行っても、エネルギーが足りない。
頑張ってしんどい字を書いて、読んで、自分は怒られないけれど教室で別の子が起こられる声に怯えて、どんどん消耗していく。
そんな自分を『ダメな子』だって思って、だれが『そんなことないよ』と言ったって心に響くことはなくて、自分で自分を追い込んでいく。
『学校』という場所に、居場所を見出せない。
そのうち心を病んでしまうかもしれない。
居場所がないってしんどいことだって私も知ってる。

でも、それを心の底から言ってあげられない。
日本は、『学校ありき』の社会だから。
途中で脱線した時に、元の路線に戻るのは難しいことを大人は知ってる。
ましてや、発達に障害がある子。
自宅学習が難しかったり、一人でどこまで勉強できるのか、持続性があるのか、だいぶ問題がある。
親がつききりで見てるなら可能かもしれない。
でも、子どもは思春期に入る。
いつまでも親にべったりじゃない。

そして、さっきも書いたけど、フリースクールや通信の教育を受けさせるならお金がかかる…
つまり、両立していくことが非常にむずかしいんだよね…

こんな風に心の底から「行かなくていい!」を言ってあげられない反面、やっぱりこの不安が付きまとうのも事実。

「このまま無理に行かせてたら、本当に心を病んで引きこもってしまって、社会に出れなくなるかもしれない。」

これじゃ本末転倒。

学校に行きづらい子の親は、いつもこの狭間を行ったり来たりで悩んでるんだと思う。
私もこの狭間を行ったり来たりしている。

公的機関には、学校に戻すために支援機関がある。
でも、他の受け皿はない。
これだけ様々な生き方を選択できるようになったのに、これだけ様々な環境が、ニーズが生まれてるのに、学校だけは多様性がない。
一つの道しかないんじゃん、もうきっとダメなんだろうと思う。
だけど、私たちには選択できる道がない。


『発達障害』という言葉認知度は上がったと思いますが、実際の発達障害児の生活や家庭内の状況ってなかなか実感していただけないなぁと思い、書き始めました。 子育てに必要な勉強を続けていくために、「投げ銭」という形でご支援いただければ励みになります。 よろしくお願いします。