『話を黙って聞く』って難しいけど必要だよね

夏休みが終わりに近づく中、各新聞やNHKが10代の子の8月下旬の自殺率の高さを危惧する記事を書いてますね。
以前は9月1日が高いって話だったけれど、夏休みが短くなった学校もあるせいなのかな、8月下旬にこんな悲しい出来事が頻発するのは。

自殺を考えてしまうような悲しいことになる前に、私たちは何ができるんだろう?
今日はそんなことを考えてみたいな。

とっても繊細な話だと思うけど、私は言葉を選ぶのも下手だし、それ以前に語彙が少ないから、「もうちょっと気を使って言えないの?」って思われる方がいたらごめんなさい。


我が家の娘たちを見ていても、学校に行くということはすごくハードルが高いことなんだっていうのがよくわかる。
何がしんどいとか、そんなの口に出して言えるかって言ったら、大人だって難しいんじゃないかな?

人間関係難しい。
勉強も難しい。
行事ごとしんどい。
みんなよりできない自分、しんどい。
自分って何なんだろう?

色んな気持ちが混ぜこぜになって混とんとしてる状態なんじゃないかなぁ?

だからどうして相談しにくいのかって、端的に理由が分からないっていうのもあるのかもしれないけど、その理由に気がついちゃったらものすごく傷ついてしまうって恐れてたり、理由を話すことで人にどう思われるかが気になったり、人としてダメなんじゃないか、受け入れてもらえないんじゃないかっていうのもあると思うんだよね。

勿論、『いじめ』っていう問題もあるよね。
いじめって、相談するところがないんだよね。
親に言えるかっていうとこれすごく言いにくい。
先生に相談したって、よっぽど信頼関係が出来てなかったら言いにくいし、うっかりいしたら「ちくられた」って更にいじめが加速する可能性もあるから怖い。

どちらにせよ、思いつめてしまう子たちは、自分の存在が誰にも受け入れてもらえていない存在の不安を抱えてるんだろうと思う。
誰にも言えないってそういうことでしょ?
昨日の『不登校』の話も同じだよね。

自分の知っている人間に、自分を評価されるのはすごく怖いことだよね。
自信がない状態だったら、評価なんてされたくもないだろうし。
親には、情けない自分は見せたくないし、幻滅されたら本当に心の居場所が失われてしまう。


受け容れられない自分はダメな人間なんだって、悩んで悩んで思い詰めて疲れていってしまうんだろうと思うと、悲しい。


我が家の次女がね、やっぱり言えないタイプの人なのね。
今は私には何とか話してくれるようになったけど、それでも悩みを話してくれると
「こんな(だめな)私をどう思いますか…?」
って訊いてくるのね。

幻滅されただろうか。
嫌われただろうか。
呆れられただろうか。
見捨てられるだろうか。

そんな不安がよく見て取れて、そこまで思い詰めなくてもいいのにって大人の私は思ってしまうんだけど、当人はすごく真剣なんだよね。

次女はクラスメイトやどこかで知り合ったことのある人の前でも、態度を変えてたことがあるのね。
知ってる人の中の『自分』の評価が下がることに怯えてて、自由に振舞えないんだよね。

そういう姿を見てくると、悩みごとの相談はまったく知らない人(電話相談のような)とか、例えば子ども食堂の人とか、学校の用務員さんだったり、ボランティアさんだったり、近すぎない人の方がいいような気がするんだよね。

大人は、通り過ぎた時間の中で、自分が思春期にどんなことに戸惑って、傷ついて、憤ってきたのかって、時の流れとともにだんだん忘れていってしまうんだよね。
でも、ちょっと一生懸命思い起こしたら、社会の仕組みや理屈を身に着けた大人の考えじゃなくて、今まさにそんな理屈を体得しようとしている傷つきやすくて全身全霊で物事に感じている思春期の子気持ちだって思いだせるのかもしれない。
ていうか、ちょっと思い出さないと同じ目線に立ちにくいよね。

きっとね、大人からのアドバイスなんて二の次なんだよ。
欲しいのはそんなもんじゃないんだよ。
まず、真摯に自分の話に耳を傾けてくれる人が欲しいんじゃないのかな?
その内容がどんなものであれ、まず批判しないで聞いてくれる、そんな人が必要なんじゃないの?

自分をすごく叱責して、『そうであってほしい』と思う方向に強制連行する大人に、子どもは心を開いたりはしないよね。
どんな事情があってそうなってしまったのかを、いい訳交じりであってもじっくり黙って聞いてくれる人には、話したい気分にもさせられる。

今のご時世、ちょっと困ってそうだなって子がいても、「どうしたの?」なんて声をかけたら『声掛け事案』になってしまうこともあるから、子どもが大人に親切にしてもらう機会っていうのも少ないのかもしれない。
でもね、おせっかいおばちゃんやおっちゃんがいてもいいんじゃないって私は思っちゃう。

「自分を心配してくれてる」ってちょっとでも思えることがあったら、やっぱりそれはその子にとって『自分の存在』を認めてくれる人がいるってことになると思うから。

『発達障害』という言葉認知度は上がったと思いますが、実際の発達障害児の生活や家庭内の状況ってなかなか実感していただけないなぁと思い、書き始めました。 子育てに必要な勉強を続けていくために、「投げ銭」という形でご支援いただければ励みになります。 よろしくお願いします。